目黒蓮(宇宙Six / ジャニーズJr.)兼任事変の何に怒っているのか本気出して考えてみた

(タイトルが古すぎる)

2019年1月17日、日付が変わったばかりの0:57、に、私は出回っている新聞の一件を知った。曰く、Snow Man(以下「すの」)の増員。増員される(らしい)3人のメンバーの中に、現状私が投資しまくっている宇宙SixというジャニーズJr.内ユニットの目黒蓮(めぐろ・れん)が含まれていた。

その晩は「兼任」のソースを探して終わったと思う。私の立ち位置からするとこれは、すのの「増員」ではなく、宇宙の中のひとりに関する「兼任」および、この最初の第一報の段階で容易に予測されまくっていた「減員」の話にほかならない。

事変、だわ。しかも、宇宙にとっては2年連続だわ。

私の立ち位置からして、これを予測できなかったかといえば、ヘンな話、「減員」になる予想というか覚悟みたいなものは同年1月5日にすでにしていた。その日更新された目黒本人のジャニーズweb連載で、たからかに(たからかに、だ)、要約すれば、ぼくはたきざわくんについていきます、ということを、宣言されていたからだ。

おいうちをかけるように、翌1月6日、昨年も行った劇団「30-DELUX」と宇宙Sixのコラボ舞台第二弾「のべつまくなし」の発表が新聞紙上であった。が、目黒蓮は「声の出演」とされていた。

さかのぼること1年、林翔太がコラボ舞台の第一弾「スクアッド」の真っ最中に宇宙Sixを抜けた時、彼はその舞台で「声の出演」になっていた。(逆に言えば、「声の出演」とすることで、ユニット全体の仕事、というまとめ方をしてもらっていたわけだ)。

さかのぼること半年、前年8月5日の連載で、目黒は、宇宙Sixのメンバーとケンカした、ことを書いていた。でも、自分がやることは宇宙Sixのためになることだ、というような内容だった。

以上のことから、この1月6日の段階で、「ケンカ」は多分、コラボ舞台と歌舞伎が重なって、歌舞伎を取ることに関してのことだろう、とこの時点では推察された。つまり、「声の出演」のことは、昨年8月以前の段階で、本人たちのなかで話し合いがもたれ、「ケンカ」になった、という状況証拠がある。

本人たちのなかでは整理がついている話だ。だから安心していいはずだ。

だがしかし。「声の出演」のトラウマ、1月5日の更新、そして、実はほかにも状況証拠があった。

年末年始、めったにないメッセージ動画、めったにない直筆メッセージ、そのどこにも、目黒本人が書いたものの中に 宇宙Sixの文字はなかった。

もしや2年連続で抜ける人が。出る。

ゲスなことを言えば、「目黒は『はらめぐ』を捨てられるのか」「そう決意したとして、目黒は原にそのことを切りだせるのか」「そもそも一人でやっていけるのか。まぁ滝沢が後ろ盾になるというのなら今の事務所状況上、全然イケるんだろうけど」「発表はいつだ」「もうこの際だから去年とまったく同じパターンでもいい、舞台の真っ最中に発表して客席お通夜にして、デジャブかよ!つって大喜利にしないとやってられない」などなど、ひでぇことをたくさん考えたりもした。

ところが。その先に、すのがあったとは、それはさすがに思いつかなかった。

……サプライズ成功だね♡(ちげーよ)

思い返してみる。1月10日、こたの連載、特に変わったところはなかった。すのが南座の稽古の関係で、11日(だっけ?)に帝劇がラストだから、嵐の大阪に南座組は出ないんじゃないかみたいな話がちらほら出ていたせいか、大阪も5人ですよ、ということをさりげなく伝えているな、ということは感じた。

15日、りょうちゃんの連載は、全体通して元気ないなと思ったけど、のべつまくなしの「声の出演」に関して、そして、その後南座の記者会見があり、目黒が変面を行うことが発表されて、変面するってことはこの先もずっと歌舞伎優先ってことでは、というこちらの不安に対し、(声の出演は)「今回だけ」という言い回しをしていた。大丈夫だよ、という、こちらを落ち着かせようとしている意図が確かにあった。

宇宙Sixは、というか、これはTheyの頃からだけど、主流の流れには1ミリもかすってないJr.だからさ。デビューなにそれ食べられるもの?っていう立ち位置にいるからさ。少年倶楽部も、毎月の雑誌も、YouTubeも、遠い遠いところにあるからさ。web連載しか、持ってないから。

だから、webの連載にとにかく、伝えなきゃいけないこと、伝えたいこと、を、綿々と盛り込んでくる。はっきり言えないことでも、読んでるこちらにはきっちり伝わるように、綿々と。

林が抜けた時なんて、まるまる一か月ですよ。まるまる一か月かけて、全員が、そうなるまでにどういう話合いがあって、自分はどういう心境で、どういう言葉をかけて、どうしてきたのか、っていうことを、綿々とこちらに伝えてきた。

Jr.の、主流じゃないからさ。ほったらかされてるから。だからこそ、っていうとこも、あると思うんだよね。ほったらかされてるからこそ、自由にできる、っていうところは絶対あったと思う。

その、webがね。

17日に発表になって、次の更新は20日、原ちゃんの番。

原ちゃんの文字の中には、今の自分の心境と、今後についてのことがあった。

読んで最初に思ったことは、これは、慟哭だ、って。

今の自分の心境と今後について。そのなかに、こういう時に必ず出てくるはずの、どうしてこの結果になったのかの過程の説明が一切なくて。

これは、本人たちのなかで決着した話ではまったくないんだ、と。

目黒は、原にさえ、このことを言っていなかったんだ、と。

蚊帳の外だ蚊帳の外だと思ってたけど、それはねぇだろ。

ジャニーズはそういうもんだよ、じゃねぇよ、ジャニーズJr.なんてもっとそういうもんだよ、じゃねぇよ、デビュー組だって新聞で自分がこれに出るんだーって知るんだよ、そういう話してんじゃねぇんだわ。

それやっていいのは主流にのってる子だけだろって話。

うち、なんにもないんですけど。何か仕事がきっちりあって、ちゃんと待遇されていて、それだったら、ジャニーズはそういうもん、ってなるかもしんないけど、そもそもジャニーズっぽい待遇受けてきたかって話。

あとさぁ、これへたしたら、「兼任である」ことを、目黒自身が知らなかった可能性ないかって、それがすっごい気になってる。

兼任である、ならばよ。兼任であることを知っていたならば、むしろ、宇宙Sixであることをもっとアピールしてく子じゃない?年末年始にさぁ。それで、どっちもがんばる、って言うよ。少なくとも今までの目黒の連載の空気感からすれば、兼任である、という前提にするならば、あの1月5日の内容にはならなくない???

いや知らんけど。知らんけどさぁ、こっちが知らんけど、っていうのはいいけど、どーーーーーー考えても、本人たちが一番「知らんけど」だったのって、なんなんだよって話。こっちはそういう仕事のやり方してきてないの、だって主流じゃないから。帝劇にも呼ばれないしYouTubeもやってないから、その分、過程に関しての責任をきちんと負ってくれて、きちんとお伝えしてきてくれてたんだよ、そこに最大の信頼があったの!そこを勝手に手ぇ出してくんじゃねぇって話なの!

私が怒っているのは、そこに、なのかなぁ。

滝沢についていく、ってなっちゃったら、もう戻ってはこないから、そこはまぁ本人の自由っていうか。この先、あの事務所で、あの体制下で生きていきたいとするならば、それは滝沢についていった者勝ち、滝沢の目にとまった者勝ちだから、それはまぁ、本人の自由だ。

2年連続それに負けるのは癪に障るしムカつくけど、なんで宇宙にばっかり手ぇ出してくんだよと思うけど、頼むからほっといてくれよと思うけど、それをやるのは滝沢の自由で、滝沢についていくのは本人の自由で、それに負けたことは事実だ。

自腹で地方まで滝沢を見に行った者勝ちだ。それはそれでいい。それは悪いことではない。それを、実力だの努力だのの正論で、こっちが一切実力もなくて努力もしてないみたいな見下し方をされるのは本当に本当にムカつくけど、もうそれもどうでもいい。

時間をあげてほしい。

今回のことに、ちゃんと経過を伝えるための、それは嘘でいいから、嘘でもいいから今まで綿々と本人たちががんばってきた、ちゃんと伝える、っていうことを、宇宙Sixに、宇宙Sixとして、それをするための時間をあげてほしい。

宇宙Sixになった時だって、なった過程だって、私たちはちゃんと伝えてもらった。

だから、そのための時間をあげてほしい。

信じた君がついた嘘ならそっと心にしまうから。

KYO TO KYO から 紅白へ

1997年の秋、KYO TO KYOを見に京都まで行った20代前半の私は、「ガラガラだよ」と人から電話で聞いていた客席の状況を実際目の当たりにして、「ガラガラだな」と、思った。

当時バイト生活をしていた私は、土日ではなく、平日に京都へ行くことが多かった。土日はだいたい5公演、平日は3公演、が当時のKYO TO KYOの定番だったと思う。

京都へ行くのはKYO TO KYOを見るためでもあり、観光をするため、でもあったので、チケットは滞在期間中の最初と最後だけを持っていて、空いている時間には観光をするつもりだった。

でも、ガラガラだった。

うめてあげなきゃ、とか、そう思ったわけでもなかった。ただ、チケットは普通に窓口で売っていて、席は選びたい放題だった。

大野くんの立ち位置で見たい。通路側でゆっくり見たい。

「20番の席だとどこになりますか。中央の通路側の方で…」

そんなふうに窓口で聞いて、20番で空いている席のうち一番前の席を買う。そういう買い方が可能だった。

プレイガイドで事前に席を選べない状況で買うと、自動的に前方3列以内が手元に来た。それはそれでおとなしくそこで見て、あとは現地で好きな席を買う。97年秋の平日は、そんな状況だった。

その時、私はちょうど真ん中くらいの20番で見た。前3列以外はガラガラの客席で、ちょうどど真ん中に位置する席にぽつんと座っている人もいれば、中列くらいの妙にサイド側で見ている人もいた。みんな好きな席を買うから、前3列以外は、ぽつん、ぽつんと人が座っている状況になる。そういうなかで、20番は真ん中くらいまでは、縦に座席がうまっている、みたいな雰囲気だった。

うめてあげなきゃ、とか。そう思ったわけでもない。今の感覚ではないので、当時は、こんなもんだろ、とも思っていたような気がする。

ちなみに、翌年の状況は全然違って、客席はいっぱいになるようにはなった。だから、これなら続けられるな、と思っていたけれど、KYO TO KYOは、というかジャニーズ陣営は、2年でさっさと劇場から撤退した。

もう、次の春には公演がない、そんな噂になっていた年末、大野くんは、自分が出演するべきKYO TO KYO のステージが終わっても、東京に帰ってはこなかった。

KYO TO KYO の全部の公演が終わっても、ステージがなくても、大野くんは帰ってこなくて、ほかに東京から京都へ行っていたJr.のなかにも、帰ってこないひとがいた。

99年の1月には雑誌FRIDAYの一件があって当時未成年のJr.4人が解雇をくらい、くらった子が京都から帰ってこないJr.を頼ってそっちに行くとかいうもう、なんなんだよ💢、みたいな、さんざんな冬だった。

KYO TO KYO が終わった後、出演していた関ジュには細々と仕事があった時もあったけど、そのうちどんどん辞めていった。所詮は使い捨てだと言ってしまえば簡単だけど、当時私が押していた関ジュの子について最後に聞いた消息は、携帯ショップで接客のバイトしてるらしいよ、っていうやつだった。

KYO TO KYO 、という公演があってから、20年という月日を経過する2018年12月31日。

NHK紅白歌合戦に、純烈 というグループが初出場する。

純烈のなかに、当時関ジュでKYO TO KYO に出ていた、友井雄亮くんという子がいる。

…子、じゃないな。友井雄亮さん。

当時は牧山雄亮くん、マッキー、と呼ばれていて人気があった。

KYO TO KYO に、常時の出演者としてクレジットされていた東京Jr.のなかで、生き残ったのは大野くんだけだ。

そして、関ジュのなかで生き残ったエイトのヨコやヒナと、そして、事務所を辞めた牧山が同じステージに立つ、そんな20年後の未来。

なんとかなる未来も、きっとどっかにあるよ。