我が愛しの8月30日

8月30日に思い出すことはたくさんあって、でも一番はやっぱり松山かなーと思う。

(あー今思い出したけどそういえば、春のツアーで松山が中止になった理由って地震で会館の屋根が落ちたからじゃなかったっけ…確かに、地球のプレート活動期中なんやなーと今妙なところで実感した…)

春のツアーで松山に行く予定が中止になって、必ず!と言っていたのがやっと叶って、そしてその年の8月30日は日曜日だった。
日曜日で2回公演で、問題は「その日のうちに本人達が東京に帰るのか否か」だった。
帰らないといけない場合は、コンサートの時間が短縮されて巻き巻きになる。
その土地の飛行機の最終の時間とにらめっこして、「いや、でも念願の松山だし、8月30日だし、その日のうちには帰らないんじゃないか?」と踏んで日曜も泊まりにした、ら、やっぱり本人達も帰らず、長い長いコンサートになった。

詳細は

http://homepage3.nifty.com/~tempest/kako-log/kenbun/kenbun-2003sm-final.html

http://homepage3.nifty.com/~tempest/birth/2003matsumotokikaku.html

あたりをチェック!(自分の昔の文章ってとっても恥ずかしいネ・・・)

嵐は最初から嵐だったわけではなく、どちらかというと、最初は不協和音も強かった。
じゅんくんという人は完璧主義で、当時あまり人への理解というものを示さず(笑)(ほめてます!)真面目というより生真面目で、とりあえず一言で言えば「この人、生きていくの大変だと思う」みたいな感じだった。

ずいぶん後で本人が、「当時は楽屋で誰かが寝ているのでさえ気になった」と言っていたことがあって、さもありなん!という感じだった。ほんとに。

じゅんくんは、「なんでがんばらないんだ!」と思っていただろうし、ニノちゃん(特にニノだ)は「なんでそんなになっちゃうんだ!」と思っていただろうし、まったく睡眠時間も足りなかった最初のうちは、ほんとにほんとに、怒涛のようにすぎていったと思う(もしかしたらその、最初の睡眠時間が全然ないくらい忙しかったというのが逆に良かったかもしれない)。

コンサート番長じゅんくんは、隙間をつくるのが嫌いだった。
曲と曲の隙間、曲の間の隙間、始まる直前の隙間、そんなわずかな隙間をみつけて、そこを丹念にふさいでいく、という作業をツアーの間中やっていた、昔は。
それは最初から、その、不協和音の間にもそれは続けられており、でも多分それには皆文句を言わなかったのだと思う。
智さん曰くの「(コンサートリハーサル中の)松潤の「ちょっといい?」は、絶対ちょっとじゃない」というのは名言だ(笑)

でも、じゅんくんは、いつからか、その、猛烈に隙間を埋めまくる作業、というのを、やらなくなったように思う。
そして不思議なことに、というか、だからこそ、というか、じゅんくんが隙間を埋めまくる作業をしなくなった軌跡と、嵐が世間一般に売れ始めた奇跡は微妙に合致している。

隙間を許せるようになった、ということが、ポイントだったんじゃないかと、今は思っている。
隙間を許せるということは他人を許せることで、許されている、という気持ちを、みんなが共有することができるようになった、ということだったんじゃないだろうか、と。

でも、これも「逆に言えば」だけれども、その隙間を埋めまくるコンサートを見て、なによりジャニヲタと呼ばれる人種の人たちに最初に「嵐のコンサート」が評価され、最初は余ることが多かった「嵐のコンサート」のチケットがだんだん取りにくくなり、「あれ、これはほんとに取りにくくなったぞ?」と思い始めてふと気がつくとテレビにたくさん出ているようになり…、という軌跡もある。

ふたつの軌跡は山になり谷になり、いつかの頃に「(この年齢の時には)もっと売れてた!(はず)」と笑ったじゅんくんの、その思い描いた「売れて」る状況が、今に重なっているのだとおもう。

だからいい、とか、だから悪い、とかじゃなく、ただ、私の位置からみて、そうだったのかなあと思う、というだけの話だ。

お誕生日おめでとうね。
あなたの思うような仕事が、あなたの思うようにできていることを願います。

そして、いいときもわるいときも、ずっと嵐でよかったね、と、それだけは強く強く、心から思っています。

Happy Birthday !