冬の寒い日

201201

北国で長期出張しています。風が吹くと呼吸困難になるくらい寒いです。まだ雪ですべって転んではいない。けど、絶対出張終わるまでに転ぶと思う。「雪かきしてくれるなら長靴買ってあげる」という作戦で明日から雪かき要員を募る予定です。もうなんかよくわかんないけど寒い。ここで暮らしてる人はほんとうにほんとうに大変だとおもう。…けど、しばらく滞在しているので、だんだん慣れてきたのも事実…寒いけど、最初の頃に感じた「寒くて痛い」という感じはもうしないもんなー。

1999年1月の東京も、寒かったです。とっても。

1999年の翔ちゃんのバースデーは、その直前におこった、いわゆるJr.のフライデー事件の結果が出たその当日でした。ジャニーズJr.の未成年がパーティーで飲酒、という記事がフライデーに載りまして、そのことで警察が事情聴取に動いた、という事件でございました。

当時も納得できなかったし、今でも納得していない。あの時、悲しい思いをしたのは、当事者のJr.と、そのご親族と、経済的利益をともにする人たちと、そして、「わたしたち」だけでした。ぎゃんぎゃん騒ぎたてたマスコミも、「未成年が飲酒しちゃだめだよね」とあたりまえのように言った人たちも、みんな、忘れちゃったよね、そんなこと。でも、あたしおぼえてるよ!(笑)ぜったいゆるさないから!10代の子どもの将来をふっとばして、「だって悪いことしたんだからしょうがないじゃん」って言って、それっきりそのことを忘れてしまった人たち全員許してないから!まじで!だってその時解雇された4人の中に、当時の私の自担と呼べる人が2人も入ってたんだから!2人いたら自担じゃねーじゃんっていう突っ込みはなしでおねがいします!

その4人のなかに、当時、とても翔ちゃんと仲の良かった子が1人、含まれていました。昔から翔ちゃんは大型犬のような年下男子に妙に好かれるという特徴を持っていて、その1人も、巨大なラブラドールみたいな子でした。

翔ちゃんは当時、「高校を卒業したらJr.を辞める人」という取り決め(なんというか、「取り決め」という言い方が一番しっくりくる。誰が確定したわけでも証明したわけでもないけど、それは万人の「周知の事実」のようなものでした)があり、この件でもしかしたらもっと早くに辞めちゃうかな、と思ったりもして。でも、はからずも、ほんとうに、たぶん本人も「はからずも」嵐になってしまい。

嵐になったから、30歳くらいになったら、あの時のこととか、話せる時もくるのかなあ、なんて、思っていたりもして。

でも、実際むかえた30歳は、とてもとてもそれどころではない立場にあって、それはそれで、とってもいいことだと思う。

当時、その「取り決め」があった当時、私が思い描いていた翔ちゃんの30歳は、デビューした松本潤の話の中で「昔の友達に会って」というエピソードの中に妙に短気な男の子が出てきたら「それは翔ちゃん!まちがいない!」って、予想しながら楽しむ、というものでした(笑)

それが、ねぇ、今は。

白状すれば、報道番組が苦手な私は、あまりゼロも見ていません。つか、そもそも、そんなにたくさん見ているわけじゃないのです、今、嵐。がっっっつり見ていた時期ははや数年前の話になり、ほかに見ているものもあるし、妙に忙しなく働いてもいるし、年齢的にいろいろと家族のこともかぶってくる時期でもあり。

でも、不思議なもので。言い方ヘンだけど、視線を感じる気がするのね。それは主に翔くんの。「嵐見ろ~、嵐見ろ~、他のもん見てんじゃねぇ~、嵐のがいいって、ぜったいいいって!わかってんじゃんそんなの、ほら、こっちのがおもしろいってぜったい!」みたいな(笑)

ぜんぜん、知り合いでもなんでもないけど、そういう感覚は、不思議なものだと、おもいます。

1999年1月の、寒い寒い東京の冬を越えて、9月にハワイの洋上できょとんとしていた翔くんが、翌年の4月に「すべてのジャニーズJr.に、ありがとう」と泣きながら言った時、それを聞いた時、「すべての」というその一言がどれだけうれしかったか。もう、それだけで、私は一生、いくらかのお金を翔ちゃんに払い続けなければいけないと思っています(笑)

もしかしたら、私は、嵐を好きなわけじゃなかったかもしれない。ただ、あの頃のJr.が好きで好きで、本当におもしろくって、本当に楽しい思いをさせてもらって、だから、その時のJr.から選抜された、という体裁で出てきた嵐に、なんとか、なんとか形になってほしいと、ただそう思っていただけなのかもしれないと、そう、思わないこともないのです。

でも、翔ちゃんの「すべての」という一言を聞いた時に、これでいいんだと思ったし、これでよかったんだと思ったし、心から、それは本当に心から、がんばってほしいと思ったし、そのためにできうる限りのことをしてあげたいと思ったし、それは、今でもそう思ってる。

いろんな仕事をしても、環境が変わっても、でも、あの時、「すべての」と言ってくれた翔ちゃんは今でも私の目の前にいて、「嵐いいよ~、今見ときなよ~、やっぱ嵐じゃね?ね?戻ってくんのはここじゃね?嵐が一番よくね?」って、うざいほどに(笑)アピールしてくる。

「スマート」なんて書かれてるけど、ほんとは乱暴者で、うっとおしくて、悪い感情でも外に出しちゃう、デンジャラスな翔ちゃんでも別にいいんじゃね?

やっとドームでやらせてもらえるようになった頃、翔ちゃんが最後の挨拶で突然、「みんなさぁ、嵐のファンって言うの、恥ずかしいでしょ。でもさぁ、もっと言っていこうよ!アピールしていこうよ!」って言い出した時、会場中が「図星すぎる」と思ったうなだれたのも、もう昔の話だな(笑)

なんだろうね。一緒にやっていく、っていうスタンスが、ずっと昔からあるのかもしれないね、翔ちゃんの中にね。

おたんじょうび、おめでとうね。私は、あなたのことなんか、たぶん、まったく全然知らないけれど、どこか、同志のような気が、ずっとずっとしています。

同志翔ちゃん、これからも、嵐をよろしくね。たよりにしてます、まじで!

Happy Happy Birthday!