「いなくなること」

あかにしくんの話をするです。

あかにしくんを最初に認識したのは、当時やってたJr.のドラマ番組的なやつで、松本潤主演のドラマに友達役で出ていた時。

最近の子は随分芸達者だなー、と。

松本潤も充分「新世紀!」って感じのたたずまいだったけども、あかにしくんはもう、その上にすでに演技の間合いがとれているという、「なんかすげー逸材きた!」的な。
いや、山下Pも「なんかとんでもなくかわいいのきた!」だったし、錦戸くんとか長谷川くんとかも「なんかちっちゃいけどすげーのきた!」とか、やっぱり、入った時の印象って、すっごい強くって。
だからもうその時からずーっと、あかにしくんは、陽のあたるイメージ。陽のあたる、そして誰かに陽をあてる、誰かの雲も取り払ってくれるような、そんな、陽のイメージ。
だから、あの頃みんなあかにしくんのこと好きだったし、あかにしくんみたいになりたい!って子が、結構な数でいっぱいいたくらいの。

だったから、ね。

KAT-TUNじゃありません、となった時には。
それは、ある意味、もう、状況的にわかっていたこと、でもあり、もう無理だな、って、こっちも思っていたこと、でもあったはずなのに、やっぱり、いなくなった、というのは。
どうにも、ダメージが大きすぎて。

嫌いで別れたわけじゃない。

そうは、言うけどさ。
いろんな事情もあるんだろう。
それも、わかるけどさ。
でもやっぱり、どうしても、「楽しくなかったのかなあ」と、思ってしまうのはもう、しょうがないかな、とも、思って。

こっちは、すごい、楽しかったんだけど。

いや、そりゃ、楽しいばっかりじゃなかったと思うけど。
そりゃそうなんだけど。

でも、いなくなる、を選択してしまうほどに、楽しい、が、消されてしまう状況が、あったのかな、とか。
しあわせ、では、なかったのだろうか、とか。
そう考えてしまうのはもうどうしようもなく、そりゃ、涙も出るわ、という。

でもべつに、あのとき楽しかったこと、しあわせだったことは、絶対にうそではないと、それは、たしかにそう思うので。
もう、しょうがない、と。
そういう、納得、に近いことは、もう、できていることも本当ではある。

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わたしは、その昔Jr.担であったので。
不可抗力で、本人やめたくないのに、やめないといけなくなってしまった、ということにもぶつかったりしていたので。

だから、昨今の、何かしらの不祥事的なもの→謹慎→そのまま戻れない、っていうのは、どうなの、かわいそうじゃないのよそんなの、戻せばいいじゃないのよぅ!と思っていたんだけども。

よく考えたら、その、不祥事にともなう不可抗力的なもの、が、あってもなくても、とにかく、何がしかでグループなりユニットなりを離れたとして。
そこで、戻る、のに、果てしなく強い意志が必要で、ハードルもとっても高かったとしたら。

果たして、皆が皆、戻りたい、と、思うのか?と。

ちがうグループのあるケースで、おともだちに「正直、今までやってきて、本人が楽しかったか、幸せだったかどうかはわかんない」と言われたときに。
はじめて、ほんとはじめて、あぁ、絶対戻すのが正しい、というわけでもないのか、とか。
実際、本人がどう思っていたのか、どう考えていたのか、将来の、そして人生のことなんだもんなぁ、と。

なにがなんでも戻さなきゃ、っていうのは、たぶん、違うのかもしれなくて。
本人が強く強くその場所にいたいんだと、何を捨ててでもやり続けたいんだと、そう決心がついてから、やっと考えられることなのかも、と。

こっちは、そりゃ、強く強く、最初っから最後まで、戻ってきてほしいと、思ってるけど。
あの時楽しかったこと、しあわせだったことは、絶対にうそじゃないけど。

それとこれとは、もう、違う問題なのだ、と。
新しい道、とか、新しい人生、というのは、もうどうしようもなく、当然のように本人のものなわけで、その時楽しかったとかしあわせだったとか、そういうこととは、違うところにあるものなのだ、と。
そんなことを、考えたりしていましたのです。

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じゅんくん、のインタビュー記事で今でも忘れられないもの。
雑誌のPict upが版型の小さいタイプだった頃、一問一答形式だったやつ。時期は2002年の終わり頃。

メンバーにしてほしくないことは?
「いなくなること」

味方は?
「4人だけ」

たとえばね。たとえば。

すっごい憶測で言うけどね。
もしね、この時期にね、嵐のなかで誰かに何かがあってね。
一時的にでも誰かが「いなくなる」事態があったとしたらね。
その誰かが、そのまま戻ってこなかった未来、というのは、結構な確率であったことだと思うのね。
嵐はわりと最初のうちから「5人で嵐!」で売っていたけど、そういうこととは関係なくね。

この頃、もしも誰かに何かがあったなら、それが誰であったとしても、嵐、という存在は強く強く戻りたいと思えるような場所だったか?といえば、それは、ちがったような気がするのですよ。

そのあたりは、今現在何もなかったグループとかユニットも、今現在何かあったグループとかユニットも、わりと状況は同じなんじゃないかなと思える。
その瞬間の時代の情勢もあるし、事務所の勢いがどうだったか、っていうこともあるし。
今現在「みんないる」グループやユニットがすごくよくできていたわけでもなく、今現在「誰かいない」グループやユニットがよくできていなかったわけでもなく。
ただ、実際として、現時点で、こうなっています、という。
ただそれだけの偶然なのかもしれない、と。

それゆえに。

してほしくないことは、いなくなること。

もう、希望することなんて、それ以外ない。
それ以外ないよー。

だれも、この場所から、いなくならないでほしい。
してほしくないことは、いなくなること。
すごく単純で簡単なことのようでいて、どれだけ願っていてもなかなか叶わないこと。
なかなか叶わないのだと、わかってしまったこと。

じゅんくんは、もう最初っから、いなくならないこと、が、どれだけ難しいことなのか、わかっていたのかもしれない。

5人で嵐、が、守られてきたことは、大袈裟じゃなく、奇跡に違いなく。
それを続けていけるなら、それ以上のことは、もういいよ。

(あぁ、でも、チケットの取れるコンサートはやってね)
(今それ結構無理難題ね…)

夜10時から振り固めようって言い出したり、手の位置にこだわったり、「えぇ!?」って言いながら一緒にやってくれる味方の皆々様に最大級の感謝。
じゅんくんの多分壮大すぎるであろう野心や野望が、味方のひとたちと一緒に、全部ぜんぶ、叶いますように。

(でも、売れなくなってもいいよ)
(そしたらまた、野心と野望をもういっかいつくればいいよ)

おたんじょうび、おめでとう。