どうでもよくてながいワタクシゴト

わたくし、ここ数年はジャニから離れておりましたのよ、というどうでもいい話をするです。

まー理由は多分いろいろあって、休みがイマイチはっきりしない仕事してるんで遠い時期のコンサートの話されても困るとか、年齢も重ねまくって周囲の介護系の問題があるとか、そーいう、わたくし自身の変化というのも大きな話ではあるのでございますが、まぁ、あれよ。
あかにしくんのばーか!っていう話と、嵐が一般化してしまったという、その2つが巨大な壁として立ちはだかってもいたのでございますよ。

嵐が一般化した、という言い方はちょっと違うかも。
「1回ずつのコンサートの規模が大きくなりすぎたのにチケットが取れないという意味のわからない状況になっている」
これだな。
なんで「意味がわからない」という表現になるかというと、たぶん、それ以前、を、うっかり(うっかりだ!)経験してしまった人たちにとっては、ほんとに、「意味がわからない」という状況であろうなぁ、と思ったりするからでございます。

だってね。
名古屋の、レインボーホール(当時)を、余らせていましたよ。あたし余らせたことあるよ!グランディとか、たまアリとか、がんがん余ってたよ!今でも忘れないけど、あの!潤くん20歳の松山だって余ってたんだよ!
(でも横アリは妙にとりにくかった。当時、関東限定アイドルと言われていたものでございます…)

うっかり経験してしまった当時を表すのはなかなかむずかしいのですが、端的にいえば、「共有することが簡単だった」かな。
テレビって、すごく「共有」するためのツール。全国放送でありさえすれば、「みんな」が見られるんです。だから、「かわいかったね!」「あそこのあの瞬間がよかったよね!」って、言える。
当時の嵐は、自分の生活上の条件さえクリアしていれば、「コンサートを共有する」ことがとても容易だったのでございます。

嵐のコンサートに行きたい!という絶対数は少なかったことに間違いはないのですが、でも行きたい!って人は案外コアな層が多く(そのあたりがJr.黄金期の特徴を表していると思われる)、ある程度の人数のコア層が日本全国を巡回している、というような状況でございました。だからこそ、「参加せよ!」という態度を取れたんだと思うわけです、向こうもこっちも。「おまえら毎回来てんだから覚えてんだろうな!」的な。こっちはこっちで「言われなくても覚えてやるわ!」的な。巷でよくいうコール&レスポンス、という現象は、こういう、ある種特殊な環境下で出てきた話なわけでございますよ。

あたくし今でも忘れないけど、飛ぶ鳥を全部叩き落とす勢いでKAT-TUNが伸びてた時、大阪城ホールのコンサートでね。かつんのコンサート、1回目見終わった人が、みんな帰るんだよね。駅の方へ。そんで、違う人たちが2回目を見にくるの。人波が、そういう流れになってたの。
それ、当時の嵐では絶対なかった。当時の嵐は、同じ人たちが、会場の周囲をぐるぐる回ってるだけだったのよ。
だからなんか、びっくりして、「う、売れるってこういうことなのか!」って、すごい思ったりしたのです。

でも、みんなでぐるぐる回りながら、それはそれは楽しかったことも、事実なのです。1回目はこれをやった、じゃあ次は!?ってみ~んなが思っていて、だからこそ、「なんで1回目(のMCの頭)でハッピーバースデー歌って、今歌わねーんだよ!」って、怒ったり怒られたりすることもできたわけです。

なんでこの楽しさすばらしさを世間は理解しないのだ!ってテーブル叩いてぷんぷんしながら、でも、これが世間にばれちゃったら、もう会場のまわりぐるぐる回れないって、そういうことは、わかっては、いたのです。

あれから随分たちまして。
どうして世間はわかってくれないのだ!という時期はとうに過ぎ去り、こくりつ、とかいうとんでもねーところでやっても、チケットが取れないという、「意味がわからない」ところまできてしまいました。
昔は、20公演あったらそのうち15公演くらい行ってた頃もあったわたくしも歳をとり、チケットがんばるぞ!おー!という気合の域までなかなかいけず、よろよろしながらやっと1回行けるらしいよ、という状況でございます。

いや、それでも、猛烈にがんばればチケット取れるだろう、ということはわかるの。うん、ジャニオタに求められるのは努力と体力と財力だから(笑)でも、現実的にはむずかしいじゃーん。
そうすっと、何がこぼれ落ちてしまうかというと、やっぱそれは「共有」かなあ、と。以前は簡単にできていた「共有」が、「できない」というのは、それが簡単にできていた頃をうっかり経験してしまっていればいるほど、「意味がわからない」と思う。

そして、以前はもうほんとに、コンサート「だけ」だった嵐の、そのコンサートが「みんな」と共有できない、というのは、すんごい危機的な状況であることは事実だと思う。しかも、今のこの売れてる感じが持続する限りは打開のしようがないという。コンサート1回ずつ、リアルタイムで配信(有料で可)するぐらいのことしないと、むずかしいよね、っていう。

ほんと、「意味がわからない」と思って、で、今の嵐の状況でいけば、もう、茶の間でよくね?って思うよね。関東限定アイドル(=出演番組がほぼ関東ローカル)だった頃ははるか昔、今じゃもう代表的な冠だけで何本もあって、それについて、テレビの上での共有化ならば容易にはかれるというのがね。これは逆にプラスの意味で「意味がわからない話」だなと思うわけでございます。テレビの仕事ができるようになる人たちだとは、あんまり、思ってなかったし。

しっかーもありえないことに、今じゃ国の行政関係がらみの仕事があるからね!何の話だっていう!いや、あたしの好きなのは嵐であって、「嵐」じゃないんです、と、世界中の人に説明したくなることもあるよなぁ、って。

…そんなこんなで、どうでもいいわたくしの話、に戻りますと。
そんなこんなな嵐的状況に、あかにしくんのばーか!が加わり。
まぁ、もう、ジャニはしばらくいんじゃね?っていう。
それでもコンサートツアーがあれば1回くらいずつは行ってたわけで世間的にみればそれで充分だって話でもあるわけですけど(でもその内容正直ほとんど覚えてない)、まぁ、自分的には、もう自分ジャニオタではないなー、って。思ってて。

それがね。
急速に気持ちが戻った理由はすごくはっきりしてて、今年2月の別府のKAT-TUNのコンサート見て、やっぱジャニすげぇ!と思って。行く前はほんと、行くこと自体どうしようかと思ってて。あたくしは、外部ダンサーってほんと受け付けないもんで(なんか外部ダンサーだと急速に「仕事」っていう意識が自分の中で出ちゃって、すっごい冷めてしまう)、外部ダンサー使ってると聞いた時に、あーこれはもう行かない方が、とか思って、まぁでもこれ見て最後にするのもいいな、とかも思って、ぐずぐずしながら行ったら、これが。

びっくりするほどに、よくて。
めちゃくちゃ、よくて。
まさか自分が、完全に仁亀厨だった自分が、5人のコンサートにこんなに感動するか?と驚愕するほどに、よくて。
ボケ合戦みたいなことやってる時に、かめたんが突然 ♪we can do ! we can go !って踊りだした時、聖が「黄金期か!」って突っ込んだ瞬間に、「え、本人も『黄金期』って言うんだ、あれは『黄金期』という解釈でいいんだ」とか思って、なんか、その時ほんとにすごい勢いで気持ちが戻ってく感じが自分でわかって。

それで、また、いろいろ、真面目に見始めて。
そうすると、嵐って、やっぱり、いいんだなあ、とか、おもう。
「嵐」じゃなくてね。あたしの知ってる、嵐、ね。

あたくしの知ってる嵐はやっぱり、黄金期のJr.から出てきた人たちでしかなくて、あの、弱肉強食生存競争ひたすら激しく、いやがおうにも人を蹴落としているという自覚を持たざるを得ず、ポジションが上がったり下がったりに一喜一憂し、進学時期にはお祈りをし、京都の舞台が終わってるのに一向に帰ってこない輩に胸を痛め、知らないうちに辞めていた誰かに涙して、こっから一体誰がどうやってデビューするのかと毎日戦々恐々としていたあの頃の。

あの、めちゃくちゃだった黄金期から、飛び出しなさい、と命じられた5人のひとたち。
そのうしろには、きっと今でも、一緒にがんばっていたすべてのジャニーズJr.がついている。
いろんなことが変わったけど、あきらめない、というところは同じかなあ、と思ってる。

あきらめない、のは。
嵐が嵐であることをあきらめない、というか。
なんか、そんな感じ。

だってさ、普通さ、紅白の司会とかさ、グループだったらそのうちの誰か1人にいくもんじゃない?それがフツーじゃない?それを、「嵐」に、っていうの、ちょっとおもしろい現象だと思うのね。
5人で嵐!を今もって続けているのは、そこに明確な意志があるからに違いなく、自分たちの強みとか特徴とかを突き詰めた結果たどりついた結論ではなかろうか、と。

そういう、世間一般的にも自分の生活的にもまったく関係のないどうでもいいことを、あぁでもないこうでもないうふふふふふ、と考えているのがすっごいジャニオタっぽくて、あーなんか自分急速に戻ってってるなー、まずいなー、と、思っている今日、でございます。

まずいのは、ジャニオタには、努力と体力と財力がとんでもなく必要だからです。
まぁ、そう考えると、お茶の間でも楽しめる嵐、になっているからこそ、チケット取れねーそう簡単にツアーもできねー、という状況になっているわけで、とかく世の中はむずかしいものでございますね…っていう。

そういう、ひじょうに、どうでもいいわたくしのお話、でございました。

国立をあふれさせる人々を抱えて、国の行政関係の仕事まで抱えて、「嵐」は一体どこに行くのか?
…って、知らないわ、そんなことは(笑)

わたしの知ってる嵐はわたしの知ってる嵐でしかないので、健康第一でいてくれればいいかなあ、と。

あと、何かあったら、味方でいたい。
ばーかばーか!とは思っても、ずっと、味方でいたい、とは、思ったり、しています。

何度目かの9月15日。

あの日、あの時、そして今も、辞めないでくれて、ありがとう。