札幌に行った時、久しぶりのおともだちとしゃべってて、あるアーティストさんの話題になった。曰く、どうにもこうにも社会性がなさすぎる。だからこそ、の部分はもちろんあるんだけど、なんというか全然人間っぽくない…、…という話の流れで、2人ではたと、そう考えると潤くんは人間になったんだよね、という話に突入した。
友達いなかったな~、ちっちゃいのにイライラギラギラしてたな~、という話をしてたら、おともだちが「潤くんが人間になったのは七の影響が大きいよね」と言い出して、そうだねえ~と、ひとしきり潤くんと中村さん家の話になった。
お父様とも気が合ったのがよかったよね。
なんで合ったんだろね。
勘三郎さんてバブリーな感じじゃない?潤くんそういうの好きだし。
バブリー、たしかに!アリゾナの別荘!
地位とか名声とか好きだし。
そうね、地位も名声も怖がらないよねぇ。
あの頃、Jr.真っ最中の潤くんには事務所がすべてで(のように見えてて)高校に行きたくないとだだをこね、翔くんにお好み焼き屋で長時間説得されてやっと堀越に行き、でも堀越なんて校則きついし大丈夫なんかなあ~辞めちゃうんじゃないかなあ~とこっちは思っており、実際なじめずに行かなかった時期があるかのようなことを後年本人がほのめかしている。
しかし。
気づけば潤くんには、高校で正真正銘「おともだち」ができた。仲良しの3人。その中の1人が、なみのくん、こと、七之助くんだった。
潤くん曰く、七之助は最初高校に「俺より馴染んでなかった」らしい。それは相当、そうっとうに馴染んでなかったぞ!と思われる。
たぶん、そのあたりが、おともだちになった理由だろう、と推測する。
異質な世界に馴染んで、この世な俗世に馴染めない、ある意味同業他社に属するふたり。世間のいう社会性と、たぶんちょっとだけズレてたふたり。
七之助のお父様が諸手をあげて潤くんを歓迎し抱えてくれたのは、たぶん、お互いがお互いにとって、はじめて出会えた友達だったからかもしれない、と、なんとなくふりかえる。
潤くんは、七之助くんに出会って、ひとの手のひらは頭を撫でられるために差し出されるのではなく、つなぐために差し出されるのだと気が付いたんじゃないかって。
滝ちゃんとか、翔くんとか、このひと!って決めて全身全霊を預け、その手で包んでもらうのではなく、そのひとと視線を合わせ、時に対立し、それでもつながる他人の手の存在を、はじめて信じられるようになったんじゃないかって。
札幌でのわたしとおともだちの話は、ニノの話に流れていった。
ニノも人間になったのかも。
いや、ニノは最初から自分の社会性のズレに気づいてたんじゃない?
そう、ニノは気づいて折り合いつけてたけど潤くんは気づいてなかったかも、自分の俗世とのズレに。
気づいてないから摩擦が多かったんだもんねえ。
だからあの2人最初うまくいかなかったんだよ、あたしニノだったらなんでおまえズレてんのに気づかねえんだよっておもう。
わたしは昔、ニノは潤くんに自分を見ているのではないかと思っていた。鏡、のような。
しかしこの2人もいつの間にか仲良くなった。互いが人間になっていく過程の中で。
誰かの手は自分を庇護するためにあるのではなく、その手はつなぐためにある。
潤くんがそれに気づいた時、鏡が割れたんじゃないかとおもう。
鏡が割れてその中から潤くんがあらわれた時、ニノは初めて自分が見ていたものは鏡ではなく、手をつなぎえる他人であると、そう思えたかもしれない。
いつもイライラしていて、そんなところが最高にかっこよかった潤くんは、七之助くんに出会って人間になった。
七之助くんのお父様は、潤くんが欲しいものを惜しみなく与えてくれているようにみえた。憧れの生活を体感させてくれていたようにみえた。
努力の末の地位や名声は怖くない。
年を取ることは怖くない。
きっとそんなことも。
ご一家でコンサートに来てくれたりした。鳴かず飛ばずの頃に、嵐の松本潤くんが息子と友達で、ってテレビで名前を出してくれたりもした。
堀越の卒業式で、潤と七は「お互い有名になったら共演したい」というニュアンスのことを言っていたような気がする。
そんなことが実際あったらわたしは家財道具を処分してでも馳せ参じなければ!と思っていた、そこにお父様がチョイ役で突然出て来られて、全部をかっさらっていくだろう未来を疑ったことはなかった。
幸せな未来。
それがちがう形でも。
幸せな未来が、待っていますように。