幸せの黄色い電車

きみは涙を我慢する時、ちょっと怒った顔になる。

忘れないのは10年とちょっと前。

きみの、19歳の誕生日。12月24日その当日、名古屋レインボーホール

ついこのあいだのテレビ(ちなみになんとゴールデンで5人のレギュラー番組だ。あの日のみんなに伝えたい。きっと信じないだろうけど)で、翔ちゃんが、自分の名前と関係ないあだ名つけるのが流行ったことあってさ、って話してたのはちょうどこの頃。

きみのあだ名は、ふみお。文男、だったとおもう。二三男でもいい、という話をどこかでしていた気がする。

ふみお。称して、ふみくん。

他のみんなにもあだ名がついてたはずだけど、きみの「ふみくん」だけは妙なまでにぴったりだった。ふみくん、ふみくん、てみんなで遊んでいたら、「事務所にガチギレされた」って、10年とちょっとたった今、翔ちゃんが言ってた。

ふみくん、の19歳のバースデー。その当日、名古屋レインボーホールは2回公演。

1回目の公演で、盛大にお祝いした。当時嵐はステージ上に1人ひとつずつプレゼントを持ち込んで、1個ずつあけていくということをやっていて、延々それをやった。

ニノが「(プレゼントに)3万円かけた」といって黒の全身タイツ(文男の文字入り)を持ち込み、ふみくんがそれ着てポップアップで出て1曲歌うという、はてしなく愉快なことをして、みんなで延々と笑っていた。

最後挨拶でふみくんは、みんなが祝ってくれてうれしいと号泣し、体を折って泣きじゃくり、アンコールの挨拶ではくるっと客席に背を向けて4人のメンバーの名を順番に叫び、ありがとう、と叫んだ。

それが、1部の公演で。

こんなに盛大にお祝いしちゃって、2部はどうするんだろう?って。

2部は、MCでハッピーバースデーを歌って、4人のサイン色紙とサインボールが出てきた。ふみくんがサインを書き入れたら、完成。それがプレゼント。自分で嵐5人のサインとか持ってないでしょ?って。

そんなふうに、わりと、あっさり。終わったと思っていたら。

終盤に近いクリスマスメドレーの途中、潤くんが歌いながらふみくんの肩を抱いてするすると前に出てきて、その場に留めておいて自分は走ってメインステへ戻って。

きよしこのよる、が流れるはずの場面で、ケーキとともに、ハッピーバースデーの音楽が流れてきて。

まさかここで、そんなサプライズがもういっかい待ってるなんて、ぜんぜん、予想できなくて。

その時きみは、後ろを振り向かずに、なんだよ、って顔をしたよね。

おぼえてる。忘れない。

なんだよ、って、ちょっと、怒ったようなきみの顔。

あれから10年とちょっとたった、東京ドーム。

また、きみは、なんだよ!って、顔をした。

涙をこらえる、ちょっと、怒ったような顔。

お誕生日やります、だからそこにいなさい。

センターステージに取り残されて、え~って顔して。

friendshipのイントロ流れたら、ちょっと怒ったような顔をした。

涙を、がまんするために。

さっとステージが開けて、おっきな手袋した4人が、ほらほら、って、ひらひら手を降る。

スクリーンには、かき集められてきた、きみの、いっぱいの写真。こどもの頃、Jr.の頃、嵐になってから。全部、全部いい写真。ひとりずつとのツーショットまで、丁寧に集められ、編集されたVTR。

きみは、まっすぐステージを見て、うんめいてきなごさろ、と歌うみんなといっぱいのスクリーンを、ちょっと怒ったような顔で、じっとじっと見つめていた。

涙を、がまんしながら。

間奏で、ふっと照明が落ちた。暗いステージに響く、手紙を読む声。スクリーンに書き出される文字。

智くんの声で「大人の世界へようこそ!」って。

ちゃんと話をするようになったのは、嵐になってからでしたね。

連絡先を交換したのは嵐になってから、どちらかの誕生日だったと思います。

智くんから翔ちゃんへ続くお手紙。

きみは、まっすぐ前を見て、ちょっと怒ったような顔をして。

そして。

三番目、ニノからの手紙で、友達の少ない自分には、15年も一緒にいる人なんて家族とあなたしかいない、と言われて。

貴重です。大切です。

そう重ねられた時、きみの我慢は限界を超えて、怒った顔がくしゅんと崩れた。

大切です、に少し力の入ったニノの声。

きみたちの帰り道、黄色い、総武線各駅停車。

毎日毎日、黄色い電車。

実は人見知りであまり人を寄せ付けたがらないきみと。

一見人懐っこく、でも好き嫌いが激しくてやっぱりあまり人を寄せ付けたがらなかったニノは、最初からとてもなかよくて。

そして、15年すぎた今も。

今のきみがまっすぐ見つめるスクリーンは、潤くんの声。

人見知りだったのに、今はすぐみんなと仲良くなって、元気な相葉ちゃんでいてくれる。嵐の現場が明るいのは、あなたのおかげです。

怒った顔はくしゅんとなって、きみはとうとう涙を手で拭った。

次の瞬間、さっと開いたステージには、チャイナドレスの3人と、コック姿の1人。

きみの涙は引っ込んで、なんだよ!って顔をして、晴れたみたいに笑った。

お誕生日が終わる時、ステージの上で、

途中客席わいてたけど?

泣いた?泣いた?

って、にこにこしながらきみは聞かれた。

きみが答える前に

「どうせ泣いたんだろ」

って、ニノが、ちょっと怒ったみたいに答えた。

おぼえてる。10年とちょっと前、その当日、名古屋レインボーホール。2回目のお祝いでケーキが出てきた時。4人が一言ずつきみにメッセージを言いながら握手する流れになった時。

ニノは、なんにも言えずに、ただ、きみの手をぎゅっと握った。

なにか言ったら、泣いちゃうから。

「どうせ泣いたんだろ」(けっ)

「おれ我慢してたんだって!」(まじで!)

ぼくたちの黄色い電車。

あの頃の毎日にいつもあった、ぼくたちの。

今、ぼくたちの毎日に黄色い電車がなくなっても、10年とちょっと前、ぎゅっとつかんだ手は変わらずにそこにある。

ビバアラシ!

Viva!嵐!

10年とちょっと前、きみはそう叫んだ。

たくさんたくさんお祝いされて、嬉しくてたくさん泣いて、たくさん笑って。

その最後に、きみは何度もそう叫んだ。

ビバアラシ!

今もそう叫べるような、そんな場所にきみがいることを。

そんな場所を、きみがみんなをつないで守ってきたことを。

Viva!嵐!

きみが時々肩肘はって元気でいることを、きみがつないで守ってきた、きみの嵐は知っている。

だから大丈夫だときみは思えるだろう。

ビバアラシ。

あれから10年とちょっと。

30歳のきみを変わらずに見ていられることに。

相葉ちゃん、お誕生日おめでとう!