ひざは、だいじょうぶです。

20歳の潤くんへ

膝は、大丈夫ですか。

不安、ですよね。不安でした。この先、ずっと、ずぅっとこうだったら、ちょっと大変だよな、って、思ってました。…そういえば。

そう、「そういえば」そう、思ってました。すっかり忘れてた。そのくらい、「大丈夫」になったっていうことだと思います。

すでに記憶の彼方ではありますが、わたくしは結構ねちねちと潤くんの膝担を続けていた模様です。これとかこれとかこんなところにも、形跡が残っており、ちょっと自分で引くほどに膝担だったんだな…と、しみじみしました…。

自分の書いたものを見返すと、潤くんの右足になんらかのアクシデントがある、と認識したのが2000年、17歳になる時の夏みたいです。それからもしばらく、コンサートごとに一回くらいは必ず、ぐきっとさせてテーピングがっちがちにしてくる時がありました。その、ぐきっとしてテーピングがっちがちで足曲げられません、という時にゲストがたくさんやって来て、終了後にアンコールの衣装のまんまみんなで記念撮影してる写真が会報(ちなみに会報No,2)に載ってるんだけど、潤くんは足曲げられないから、一番前で床にぺたんと座って、右足投げ出してるの。その写真が2001年の春の出来事で。

潤くん20歳の夏が2003年。

「膝は大丈夫ですか?」っていう一文が入ってる手紙を、同窓会の企画で30歳の自分に向けて書いたのが、多分2004年のお正月。

この間のコンサート、だいたいツアー中に一回は必ず、ぐきっとさせる→引きずる→引っ込んだ時にテーピングがっちがちにしてくる→足は曲がらないけど症状はそれだけで、走れるし踊れる→翌日は普通、ということが毎ツアーごとにありました。

クセになっちゃってるってやつだよなー、この症状にずっとつきあってくしかないのかなー、でも翌日には直ってるし、大丈夫かなー…。そういう時期が、わりと長いこと、ありました。

30歳の潤くんへ

今年ね、横アリの、SexyZoneさんのコンサートでね。ケンティーさんが自分のソロで、がっと両膝をステージについてマイクを両手で抱えて歌い出した時に、咄嗟に、いつかのコンサートの潤くんのソロをね、思い出して。「One more time, One more chance」、やまざきまさよしさんの、あれ。あの時、両膝ついて歌った後で、テーピングして出てきたことあったじゃん?あの時のことが、急に、…思い出したというか、襲ってきてね。「だめ、その姿勢は膝痛める!だめ!!」って、すっごい思ってるの、私。いやいや、ケンティーさん今膝痛めてないから、大丈夫だから、って、その一瞬後に我に返ったけど、ほんとにあの、マイク両手で抱えて膝つかれた瞬間の「だめ!!」っていう、ほとんど反射に近い自分の感情は、おもしろいなーと思ってね。

その時、ちょっと思い出したんだよね。膝のこと。そういえば、全然大丈夫になったなぁ、って。あらためて、今更。

潤くんの膝は、大丈夫ですか?

10年前の、あの時のわたし自身に聞かれたら、「大丈夫」って答える。

いや知らんよ、実際どうなってるのかなんて知らんし、でも、少なくともあの頃みたいに、ずっとこれが続くんじゃないか、とか、あまり長時間激しいダンスは難しくなっちゃうんじゃないか、とか、そういう心配はもう全然してない。大丈夫。

つうかね、10年前のわたし自身に、潤くんの膝は大丈夫ですか?って聞かれたら、そんなことより嵐売れちゃってんだよちょっと、その話聞いてくれよ、大変なんだよ!…って詰め寄るよね…そっちの話が先だよね…。

ねぇ、30歳の潤くんへ

20歳のお誕生日の頃、松山のホールでコンサートだったよね。トクベツ感満載の日曜日の地方のホールサイズでコンサート、チケットは、別に取るの大変じゃなかった。普通に取れて、行ける人はみんな松山にいて、まつもとくんのうた、のCDジャケットを、見たい見たいって客席が騒いだら、じゃあ会報に載せようって言ってくれて、実際会報に載ったんだよね。あの時すっげー楽しかったから、全然気にならなかったけど、そんなトクベツ感満載の日のチケットが普通に取れるのって、それはそれでなかなか微妙なことだったかもしれないよね…って、今振り返ればちょっと思うよね…。その日のコンサート、巻いてやれば当日中に帰れないことなかったけど、お誕生日スペシャルで、Jr.は当日中に帰れる時間で途中で帰して、5人だけで長々とやったよね。ついでに翌日、朝一番の飛行機じゃなくて、ちょっとゆっくりの時間に帰ったよね。メインの仕事がコンサートだったんだよね…当時すっげー楽しかったから全然気にならなかったけど、朝一番の飛行機で帰って仕事したかったかもしれないと振り返って思ったりはするよね…。ほんとに楽しかったから、別に不遇と思ったことないし、関東ローカルの冠番組レギュラーはあったからそこまで売れてないとは思ってなかったけど、まぁ、振り返ると、それはちょっとあれだったかな、と思わないことはない、かなって、いう…でもほんとに、ほんっとに、命削ってコンサートやってたあの頃、楽しかったんだよ!

20歳の潤くんへ

30歳の潤くんは、国立競技場(競技場だよ!)を、いっぱいにしてるよ。いっぱいにしてるどころか、いっぱいすぎて、全然入りきらないくらいだよ。それで、みんなが「入れないじゃない!」って怒ってるよ。もう、どうするよ?すごい話だよね。

紅白歌合戦の司会もやったよ。司会だよ?

あと、日本の観光大使、みたいな仕事もして、PRのためのVTRが世界のあちこちで流れたよ。

24時間テレビのパーソナリティーもやってるよ。今年は2年連続だったよ。東日本に、すごく大きな震災があってね。そこで被害を受けた人たちや、普段苦労の多い子たちのところに行くとね、みんなが、わぁ嵐だ!松潤だ!って、言ってくれるの。30歳の潤くんに出会えることを、松潤が来たよ!松潤と一緒に○○したよ!嵐と一緒に○○したよ!って、そのことを大きなプレゼントだと思ってくれる人が、信じられないくらいたくさんいるの。普段つらいことが多かったり、巨大な悲しみや喪失に襲われた人生のマイナスが、松潤と一緒に○○したり、嵐と一緒に○○したりすることで、なんだ、ほんのちょっとは人生にプラスもあるじゃないか、って、そう思ってもらえるんじゃないかって、今、そういう存在になったんだよ。

30歳の、潤くんは。今、そういう存在になってるんだよ。

でも、そういう潤くんが、「ぼくも、同じです」って言う時、異常な説得力を持つんだよね。

同じように、壁にぶつかるし、悩むし、考えるし、そういうことを繰り返しながら、前に進もうとしている。

30歳の潤くんへ

Kinki Kidsのバックで、揺れてる要員じゃなくて、まともに踊った最初の頃のことおぼえてますか?わたしは、なぜかその頃のことが妙に鮮明で、メモにも妙に興奮して書き残したりしています。

97年夏、KinKi Kids・横アリ
今日は京都で慎吾のソロ?なのでJr.は裕貴、滝、翼、大坂、川野、一男、パナ、穴、翔、ゆず、の10人でメイン。あと小さい子とBBBの4人。
人数不足のため、Tell Me にニノと松潤とゆずが初出だったらしい。

松潤は「こけた」とMC中に自分で申告してたけど、すごいダンスよかった!この子振付あった方がいい、すごく基本に忠実で沈むとこ沈むし足開くとこ開くし、全身使ってるからちっちゃいけどちっちゃくみえない!さすが8月30日生まれ乙女座A型!もっとダンスで使いたい、もったいない、大化けしそうなのに!グアムに連れてくなら松潤を!

(その翌日のメモ)
今日ミッドナイトトレインじゃなくてオールジャニーズJr.のリハでBBBの歌がジャニーズメドレーだった。もちろん松潤真ん中なの(笑)すげえな!
Tell Me 真剣に松潤見たけど、スプリット?の時に一瞬真上に飛ぶんだよねーあの子。一瞬上にジャンプして、それからガクンって沈む。スッと沈むんじゃなくて、ガクンってくるから落差が激しく感じる。ほんと上手だとおもう。真ん中で歌ってても堂々としてるし(←それはニノも)すごくこなれてるよねー。ちゃんと育つといいなー。

ちゃんと育つといいな、どころの話ではなかったよあの時のわたくし!この時潤くん14歳かな?13歳?

それがねぇ。もう、30歳だって。Jr.名鑑の撮影中に遊び疲れて、廊下で斗真と2人並んで眠っちゃってた子が!まじか!

30歳の松潤だって。夢のようだ。しかも、まだぜんぜんジャニーズアイドル最前線だぜ。

かっこいい言葉を贈りたいと思うけど、ぜんぜん思いつかないなぁ。

おたんじょうび、おめでとう。

それだけだなー。

30歳のお誕生日に、おめでとうを言わせてくれる場所に存在してくれてありがとう!

おたんじょうび、ほんとに、ほんとにおめでとう!

Happy, Happy, Happy Birthday!!