消えない油性マジック

・ジャニーズJr.のなかに、『ふぉ~ゆ~』というユニットがあります。

・福田悠太、辰巳雄大、越岡裕貴、松崎祐介、の4人編成です。

・4人とも、結構な長いこと、嵐のツアーのバックにずっとずっとついていた時代がありました。

・Jr.歴はみんな長く長く、それゆえ、当然のごとく、Jr.として、ぜんぜん、若くは、ありません。

・4人は、現在、ラジオ番組のレギュラーを持っています。

・そのこと自体、とんでもなくすごい、めでたすぎる話なのですが、それは置いとくとして。

・つい先日、そのラジオのトークテーマが夏の思い出だった時。

・結構、勢い込んで、嵐のツアーの話になりました。

・夏の終わりに、夏の思い出の、嵐のツアーの話、です。

「さかのぼってみるとさ、僕達が高校生の年の時、にさ。夏の嵐のツアーだけの、時」
「そうね、一年の仕事が」

一年の仕事が、夏の嵐のツアーだけ、の、時。

嵐は、デビューした後、春コンだったり夏コンだったり春のツアーだったり冬にやってみたり、という数年間を過ごした後、アルバムを出してからの夏のツアー&冬の京名阪コンサート、という状況が固定され、この状態が結構長く続きました。冬の京名阪がなくなってからも、アルバムを出して→全国ツアーをする、という流れは、いまでも続けられています。

その、夏の嵐のツアーに、この人たちはついてまわっていて、そして、ジャニーズJr.としての仕事は、一年間でそれだけでした。

「一年間に嵐の仕事しかないっていう、その、夏のツアー。それがすっごい(思い出として)出てくるんだよね」

ジャニーズJr.に所属して、一年間で、仕事は、嵐のライブだけ。

嵐のライブ、ったって、そんな、晴れがましいもんじゃありません。

ドームでできるわけじゃなし。横アリは2回公演していっぱいになるけれど、たまアリでやろうものなら「譲ります」の紙を掲げた人たちが駅の改札からゲートをつくり、ひとたび地方に出てちょっと大きいところでやればやっぱりチケットはだぶつきます。

べつに、コンサートやると半分しか人が入らない、とか、そういうわけじゃなかったけど。とりあえず見た感じいっぱいにはなるけれど。まぁでも、だぶついてるっていうのは、わかるよね、くらいの感じ。

嵐がデビューしたのは、Jr.が滝沢を押し立てて、Jr.だけでガンガン仕事しまくって、それが頂点に達していた頃だったので。

最初の方こそ、嵐はたーっくさんのJr.をコンサートに動員することができたけど、そのうち、Jr.内ユニット単独でコンサートするようになったり、滝つが滝つとして出てきたり、滝が舞台やるようになったりして、そうすると、Jr.はそっちに引っ張られるわけで、嵐のコンサートにJr.たっくさんというわけにはいかない状況が出てくる。

今だったら、もしかしたら、外部ダンサー、という手段があるのかもしれないけれど、それができるキャリアもなければ、お金もないし、(そんな稼げてなかったし)、なにより、嵐本人たちがJr.として、デビューした人たちのバックにつく、ということで鍛えられて前に出てきた人たちで、だからJr.をつけないという選択肢はありえなくて、結果として、「嵐の仕事しかない」、Jr.がかき集められて、ツアーをやっている状況でした。

「それはね、正直濃いよ」

かき集められてきたのは、テレビに出られるようなJr.ではありません。他の仕事で引っ張りだこのJr.でもありません。一年間で、嵐のコンサートバック、仕事はただそれだけ、のJr.です。

もっと言ってしまえば、年数を重ねるうちに、昔は売れっ子路線だったJr.、というのも、嵐のツアーにやってくるようになりました。売れっ子路線だったけど、最初は入れていたユニットからこぼれちゃったり、ちびっこのポジションに他の子が入ったり、入っていたユニットがなんとなく消滅しちゃったり。

墓場だと言われていました。期待されていたわりに数字が出せず事務所のお荷物と言われていた嵐と、こぼれ落ちたJr.がたどりついて一緒に構えた最後の夢の砦が、嵐の夏のツアーの全部、でした。

だから、ふてくされるわけではなくて。逆に。

だから、濃度が異常に濃くなった。

「それあっての今の俺らだもんね、濃いよ」

嵐ツアーにつくJr.はマイク持たせてもらえるわけでなし、歌えるコーナーがあるわけでなし、金かかった衣装着せてもらえるわけでなし、変更はガンガン入るし、コンサート番長松本潤が右って言ったら絶対右だし。でも、そこには異常な濃度と密度が生まれて、なによりたくさん踊ることはできたし、きついわりに自由で楽しそうで、たしかにあの頃のことを表現するならば、「濃い」という文字は多分正確であり。

「嵐のそのツアーの最後の日に、みんなでお腹に、油性ペンでさ、嵐ありがとうとか、嵐最高、とか」

発掘してきた自分のアーカイブによると、2004年夏は・・・↓

> まず最初のアンコール終了時のJr.紹介。
> もうJr.が仕込んだものを見せたくてわくわくしすぎ。
> 否、Jr.がっつーか、赤間ちゃんがわくわくしすぎ。
> 仕込みは腹文字なんだけど、赤間ちゃんフライングして脱いじゃって隣りの辰巳にどつかれてた(笑)
> 潤「今日藁谷いないけど、じゅー…に!(藁谷入れて12人、の意)」
> だーっと嬉しげに上着脱ぎ捨ててでてきた腹文字は11人分で「嵐おつかれさまでした!」
> その後、全員くっついて腕の「嵐」の文字をアピール。果てしなく楽しそう。

腕の上の方、肩に近い位置に「嵐」って書いたりしてて。

相葉ちゃんが、ほっぺたに「嵐」って書いてきたりしてた、この頃。

あれはマジックなのか、シールなのか!?的な。

「消えないんだよね」

消えない腹文字。

消えない、夏の思い出。

2005年の夏は↓

> 「ジャニーズジュニアに大きな拍手ー!」までいって、そしたら。
> そしたら、Jr.が猛ダッシュでいつもと違うとこからハケてった。
> ステージに福ちゃんだけ残して。
> 福ちゃんが、左右のすみっこにいる嵐に「集まって集まって」「集まったらここ座って!」みたいにジェスチャーで合図してる。
> 何か始まるぞ始まるぞ、っていう空気。
> ステージに背を向けて正座してる嵐。
> ステージ上に出てくるJr.は、その手に「大きな白い画用紙に」「黒いマジックで書かれた」メッセージをそれぞれ持っていた。
> つなげると、最高のOne嵐!、って。
> 画用紙に黒いマジック、なの。レタリングとか綺麗じゃないの(笑)
> 字の大きさも紙の使い方もそれぞれ違うの。
> Oneとか、「O」「ne」って、画用紙ふたつに分かれてるの。ちょー手作り。

その時のJr.の人数によって、「!」てつけたり、Oneを分割したりして、文字数を調整してた。そのまんなかに、いつもいた人たち。

「でさぁ、しかもさあ夏にさぁ、夏ってか一年で、その、夏の嵐のコンサートだけだったからさぁ、みんなの心意気がハンパじゃないわけよ」

心意気がハンパじゃないのは、Jr.も、嵐も、おんなじ、でした。

嵐は、ときどき、コンサートの挨拶で、コンサートをすることが、自分たちのモチベーションにもなっている。みんなもそうだと思う、というようなことを、口にすることがあります。

鳴かず飛ばずと言われていた頃、自分たちの全部をぶつけることができた、最後の砦。

もしかしたら、それは今でもそうなのかもしれない、と思います。

昔よりも拘束をかけられることが圧倒的に増えたであろう「嵐」のなかで、最後に守るべき砦。

「あと、一年に一度しか会わないから、みんなの変わりっぷりハンパないね」

一年に一度。嵐コンの幕があいて、そこにいなかったら、それでさよなら。

知らないうちに、さよなら。

あぁ、そうだったのかって客席が思うならともかく、あの時踊っていた子たちも、似たり寄ったりの状況。年に一回、まだやってんじゃん!っていう。

「それでさぁ、最後のさぁ、嵐ありがとうってやってる時さぁ、結構泣いてたよね」

嵐も、泣いてた。ツアーが終わるたびに、誰かしら泣いてた。

明日解散すんのかよ!?みたいな、重くて長い挨拶をさんざんやって、しまいには絶対誰かしらが泣くっていう。なんだそれ、っていう。

次の夏に君はいるのか、僕はいるのか、そもそも次の夏の機会があるのか、俺らアルバム出させてもらえんの?コンサートやらせてもらえんの?できんの?

今振り返れば、当時の嵐は関東ローカルとはいえ冠番組もあったし、セールスそこまでひどいわけじゃなかったし、不遇ってわけじゃなかったし。だけど、なにせ絶頂期のJr.時代があったもんだから、こんなもんじゃだめなんだ、って、みんな思ってたし思われてたし。

SMAPだって最初は売れてなかったよ、ってよく慰められたけど、SMAPは5年目にはもう売れてたもん・・・って私はずっと思ってて、だから5年を過ぎた頃、これは、もう、いかようにも・・・って、思わないこともなく。でも楽しいからいい、このコンサートさえあればそれでいい。結構、真剣にそう思っていたし。けどトップをめざそうね、とか言い出すから、泣きながら。明日解散すんのかよ!?って人たちが、泣きながら、トップをめざそう、とか言うから。

そんないろんな背景の、全部をぶつけるコンサート。

仕事がたくさんあるわけじゃない嵐とJr.が、そのありあまる時間を使いまくってリハーサルしまくって、その全部をぶつける、密度濃すぎるコンサート。

最初は、スタッフさんだった。ファイナルに合わせて、いろんなサプライズを用意してくれるのに、Jr.が一緒になってやり始めて、そのうち、Jr.サプライズみたいなことが出来てきて。

その密度のまんなかに、いつも。

「だからねぇ、俺らは夏だいたいお腹になんか書いてる」

嵐しか仕事のなかったこの人たちは、ある時突然翼に引っ張られ、たぶん数年ぶりに嵐以外の仕事がきて。あれよあれよという間に、他の仕事が忙しいから嵐のコンサートに出られないとかいう本末転倒な、そして、めでたい事態を引き起こし。

墓場と呼ばれた場所から、変わった風向きに乗ってデビューした子もいれば、他の場所で踊りつつも、さよならする子もたくさんいた。

それを見ている側に残された、油性マジックで書かれたままの、消えない夏の思い出。

「最近書かなくなったね、そろそろ書きますか」
「ここ最近書いてないからね」

よかったら、書きにきてよ!

嵐、会場は大きくなって、セットにお金使えるようになったけど、でも、相変わらずいい衣装着せてあげられないし、(つうか着てないし)(!)、歌のコーナーとかないんだけど!

コンサート、たぶん、意地んなってやってるから。1年に1回だって、きっともう難しいはずだけど、そこをたぶん、意地んなって守ってるんだと思うから。いつまでそれができるのかわかんないけど、でも、そこはすごい、踏ん張ってるんだろうって思うから。

だから、よかったら、来て。

もっかい、空間をつくろうとしてる、今の嵐コンに来て。

油性マジック、たぶん今なら、黒以外も買ってあげられるはずだから。