『運命だと信じたい!』

今年のワクワク学校で、智くんが『嵐のなりたち』みたいな企画をやっていて、なんでこの5人で嵐になったんでしょうって話でね。これに二宮くんが0.2秒で、ジャニーさんが決めたから、的にきっぱり言ってて、それ真実すぎて一瞬で話終わるわっていうことなんですけど。

話の流れというかワクワク学校的な着地点としては、いろんな個性を認め合うことだよね、みんなちがってみんないい、いじめいくない、というようなあたりをめざしていたんだろうと思われる企画だったんすけど。

でね、その嵐のなりたちの話のつづきというか、まとめ的に、まぁ勝手に集められたわけだけど、それを、「運命だと信じたい」ってゆー話があって。

智くんが、智くんの声(ナレーション)で、運命だと信じたい、って。

それは台本なのかもしれないし、実際に智が思ったことなのかそれはわかんないけど、なんかね、あの、あの!大野智でも、今自分の置かれたポジションについて、「運命」っていう言葉を使うのか……!!って、すごく、びっくりしたのです。

若い時にさんざんいろいろやりつくし(妄想および都市伝説)、20歳すぎたら全部余生、みたいな素振りをみせているあの!あの大野智でも!運命って!(失礼)

……ほんとにびっくりしたんですのよ。

すごく個人的に思ってることなのですけど、ジャニーズって、案外「意志」って重要なのかなーって。最後はジャニさんの一声だとしても、そこにいくまでに一番必要なものって意志なのかもしれない、って。

そういう意味では、全員意志は持ってるとおもーのね。Jr.で入って、ある程度顔と名前を一致されるところまできた子たちはみんな、その時点ですんごい倍率をくぐりぬけてきてるわけだから。だから実力差みたいなものはあんまりないんだろうと思ってて、だからって意志が強けりゃデビューできるかっていうとそれは違うだろうし、意志が強けりゃ続けられるかっていえばそうじゃないだろうし。

でも、続けることに意志は必要で、いなくなることにも意志は必要で、最後にYesとNoのカードを切る権限は基本的には本人の意志に任せられているという意味で、意志が必要とされているのではないかという妄想。

自分で選んだわけじゃないのに、結果的に自分で選んだ形にならざるをえない未来が「今」になった時、見てる方としては、それは運命だと「思ってほしい」。
けど、やってる本人たちの方がもっともっと「運命だと信じたい」し、運命だと思いたいのかもしれない。
それは、あの!大野智であっても。

京都でもそう思ってたのかなぁ、そんなこと考える時間もなかったかなぁ、とか、ちょっと考える。

KYO TO KYO当時、わたくしは20代中頃で、卒業して氷河期で最初に入った会社を半年で辞め(まだブラックという言葉もなかった)、細切れのアルバイトをちまちまと続けながら稼ぎの大半をKYO TO KYOにつぎ込むという生活を送っており(あのまま京都が続いていたら本気で関西で就職先を探そうと思っていた)、それこそ運命などという言葉とは縁遠く、果たしてこれからわたくしはどうするんでしょう、ということを京都の道中ずっと考えていたりしました。

携帯電話はまだ流通しきっておらず、auは「IDO」という会社名で、「千葉県内はIDOが一番アンテナが多いんだって、だから買うならIDOがいいって」とかいう状況、Windowsは95から98に、ようやく普通に手の届くような値段になっていて、インターネットはNTTの電話線からつなぎ(これがまた契約までに手間がかかる)、深夜帯に指定した番号に電話をいくらかけても電話代が一律という「テレホーダイ」に加入して細々とインターネットをする……というような社会状況のなか、私が大野智が京都に行くということを知ったのは、アイドル誌で大野本人のコメントとして載っていた、「京都には、行けば?って言われてる」的な一言でした。

マジっすか。京都っすか。KYO TO KYO。はぁ。

でもフタをあけてみたら、京都の劇場には、私の見たかったものがすべてあって、というか、私はこういうものが見たいと思っていたのか!っていうふうに思えて、ほんとにほんとに好きで。

「その日、京都で何があったのか」を知りたくて、初めてパソコンというものを購入し(いわゆる『月賦』で買った、そういえば…!)、家にインターネット回線を引いて。その日にあったことを、おともだち以外の人たちの手による文章によって、その日に知ることができるなんて、すごい!すごいぞインターネット!って、思ったのですよ。私はたぶんいまだにその感動と感謝をひきずっているところがあって、どうしてもそういう使い方をしたいと思ってしまうし、あの時の感謝を返したいと思ってしまう。

またチケット取り放題だったから、みんな入りたい時に入れるもんだからさ、今日はここが違う、あそこが違う、誰々が出る、誰々が出ない(外のロビーから見えるところにその日の公演分の出演者一覧が掲示してある)、等々、ちゃんと経緯がわかってさ…。どんだけ取り放題だったんだっていう…。
初年度は、夏のスペシャルが終わると、秋以降ほんとにほんとに人が入らず、あちこちでさんざん言われてるけど、ほんとに人が入らなくてですね…入らなくてですね…(大事なことなので3回言いました)。

私すごい覚えてるのは、何回か分のチケット(全部おそろしいほど前の方)を前売りで買って持って行って、やっぱりもっと見たいってなって現地で追加するのに、劇場のチケットカウンターで、「(座席番号が)20番の位置で一番前をください」って買ったことがあって(忘れもしないN列だった。それでも、その公演はかなり埋まっていた方)、そのくらい人が入らなかったんだよっていう話なんですけど。

秋からは町田とかもやってきて、2チーム交代制でやってて、1日5公演っていう触れ込みだったけど平日は3公演とかで、まぁでも総合的に、そりゃ泣くわ、っていう状況で、でも見てる方は楽しくって贅沢で、今振り返ってもあれは一体なんだったんだろうと思う。これが見られれば他はなんにもいらないって、ほんとに心から思ってた。

翌年はわりと人も入るようになって(前年と比べれば)ちょっとゲストが来るとチケットも取りにくくなってて…でも前売りのチケ取りに並んだプレイガイド、私入れて2人しか並んでなかったけどね…。(インターネット抽選販売という形式はまだない)(ネットオークションなどというものもまだ一般的でない)(そもそも当時熱心にインターネットをやっているのは仕事かおたくか、の二択だったような気もしないではない)。

KYO TO KYOは結局2年間で終わり。本公演は11月まで。12月はクリスマススペシャル公演って感じで、智のいない方のチームが公演してて、そして智くんは一向に東京に帰ってくる気配がなく。

鎌田がいたから2年目の時だよな~、なんかで2チームが一緒になる公演の時に(あやふや)、Jr.名鑑の話になってさ。「俺ら撮影に呼ばれなかった」って、みんなぶーぶー言ってて、客席も、それは「え~~~~~」でさ…。Jr.名鑑はそれは「名鑑」であって、選抜の意味じゃなかったからさ、もう「え~~~~~」でしかなくて、それはもう、辞めろって言われてんのかなってそりゃ思っちゃうよねっていう…。

あとはなんかね、2年目の京都でやったCoolが、もうその時の大野智完成版っていうか、完成品っていうか、総まとめみたいな勢いですばらしく良くって、これって卒業作品みたいな感じするなーって思ったりもして。
これで辞めても、まぁ、いたしかたない、かも、って。
それはもうほんとに空気として、まぁ、そういうことだな、みたいな、共通認識的なとこまでいってた気はする。大野智の去就については。

でも、奇跡(あれは奇跡だと思った)の復活があって(光一の日生劇場正月公演『MASK』のバックに突然いた)、本人が言うには、辞める、って社長に電話したらユー仕事あるよって言われた的な流れだったと思うけど、でもそれだって、Noを言うことは可能だったわけでさ。
だまされてレコーディングしたときも、だまされてハワイに連れて行かれたときも、めざましテレビ本番に寝坊して行かないで終わりにしようと思ったときも。

そういうとき全部、運命だと信じたいって思ったのかなぁ、とか。
ただただ、流される波に逆らわず、流れるままに、途中勝手に休みつつ、勝手に岸にあがりつつ、でも基本は流されるままに、みたいな人だと(それは今でも)思うけど。

運命だと信じたい。それは自分で選んでいても、自分で選んでいなくても。
運命だと信じたいと、思ってくれている(かもしれない)ということにすごく感謝してる。

なによりも強く、今、ここで踊っていることを、運命だと、信じたい。

Happy Birthday!
運命の渦中にある今と未来に祝福を!