This is LOVE!

8月生まれの少年は、時に問いかける。

愛とはなにか、とか。おまえにとっての「One」とはなんだ、とか。

愛とはなにか、という壮大な問いをぶちあげて、ちょっと壮大すぎて苦労した、というようなコメントを残したりもする。

愛とはなにか、という問いに対し、8月生まれの少年がたどりついた答えは、つながる、ということである、と言った。

つながっているのは、どこからどこに対してで、どこからどこまでのことをいうのだろうか。

愛がつながるとは、どこへつながっていくのだろうか。

知りうる限り、嵐のコンサートの最終日はいつもいつも感傷的で、なにがしかの仕掛けを本人たちが用意してくる。

それはこれまでの繰り返してきたコンサートの積み上げでもあり、初日から続いてきたツアーの最後の日に対する思い入れであり、これも、つながってきたからこそのことではあるのかもしれない。

つながってきた年月があるからこそ、というのは、『LOVE』に対して特に強く感じたことではある。

今回、特に、変わったことをしているわけではない(と思う)。

案外むりやりな360度ステージなのは客席数確保という点がないわけはないだろうし、そのことを除けば、ウォータースクリーンに匹敵するような、目玉になりそうな何かがあるわけでもない。

ただ、今まで重ねてきたことを、丁寧に丁寧にさらに重ねている。

コンセプトのあるアルバムをつくって、コンセプトのあるコンサートを超!超!超!緻密に練り上げる。細かく細かく調整を重ねて、ツアー中盤くらいにようやく固まる。

キメの1曲をつくる。今回はP・A・R・A・D・O・X。PVもつくって、テレビでも披露するアルバムのリード曲。わざわざそれだけのためにニューヨークに5人全員で行って振付けしてもらったという代物。

その、キメの1曲のために緻密な流れをつくる。客席からの声援も許さないような静けさをつくりだすために練り上げられる。

ただこの1曲のためにあるかのような贅沢な時間の使い方をして全体の流れが組み立てられる、その1曲にむかうエネルギーが好きだとおもう。

変わったことがあったとすれば、『FUNKY』の振付練習動画を公開していたことか。

楽しい!とか、すごーい!とか、事前に練習しろっていうのもどうかって話じゃない?とか、いろいろあるけれど、実際に会場でその渦中に入ってみて感じたことは、刹那感、みたいなものだった。

『FUNKY』はマイナーな曲調で、決してハッピーな歌ではない。むしろ、哀しみ、とか、もののあはれ感、のような気配さえする。

照明が反射するようなステージと、ペンライトがきらきらする客席の、刹那的な時間。

嵐の持つなぜか消えない悲壮感と、『FUNKY』の空間が持つ刹那感。

福岡の最後に、250人を超えるというスタッフと、踊れる精鋭をかき集めたJr.と、見に来ているだけのはずの観客と。最後にもう1回、と8月生まれの少年が号令をかけて出来上がった『FUNKY』の空間は、今ここを通りすぎてしまったら二度とない刹那感と悲壮感にあふれていて、そしてそれは今までとこれからのつながりを立体化させた場面であるようで。

確かに、それを、「愛」と呼ぶのかもしれない、と。

愛とはなにか、に対する答え。

愛とはここにある、と。