ジャニーズJr.は「おれたち」の夢を見るか?

今のJr.の子は、すごく大変だとおもう。

今の若い子は、と言い換えてもいいけど、手のひらの中にインターネットがあって、その中の話題を他のメディアが拾うような世界は相互監視のようで、心理的にキツい。
それがウソでも本当でも話題は一人歩きして事実化されるから、断言するけど京都の頃にそんな状態だったら、あの時のあの子たちは全員瞬時に事務所から放り出されているだろう。

でも手の中のインターネットは悪いことばかりじゃなくて、ことジャニジャニした範囲内のことでいえば、瞬時の共有化を可能にさせることにもつながる。
全国ネットのテレビじゃなくても、600人しか入れない劇場であっても、何かしらどのような動きが今起こっているのか、を、「わたしたち」はつかむことができる。
瞬時の共有化は「わたしたち」がファン稼業を続けるための命綱でもあり、ある意味、舞台班Jr.にとっては、それなりに意味のあるツールになりすぎている。

They武道、初!の単独公演@クリエに、MADEがつくという話は、初日直前にその手の中のインターネット上で公になった。
意図してか意図せずかはわからない。
噂として事実としてなんとなく浮かんではいたけれど、それがマスコミ関係者のtwitter上のつぶやきによって公になるというのは、少なくともジャニジャニした「わたしたち」にとっては、わりと衝撃を持って受け止められた。
噂として事実として浮遊している段階では「そうなんだ~」と受け止められても、そのような形で公になるとやけに心ざわつく。

とかくジャニオタとは難儀な生き物である。

そもそも単独ってなんだ。
ジャニーズ銀座と銘打たれた600人規模の劇場で行われるたかだか90分程度の公演の、たかが数回分のメインを任されるというだけの話である。
その先の約束はなく、その結果による何かだって明確にされてはいない。

たかが。

たかがそれだけのものに、しかし「わたしたち」は全部の可能性を賭けてきたのだ。

ここで単独の冠がつくかどうかを、胃を痛めながら状況を見守ってきて、泣いたり笑ったり喚いたり騒いだりしてきたのだ。
しかたない。
ジャニオタとは難儀な生き物なんだから。

They武道に単独の冠が初めてついた今年、こわい、という感情が自分にはあった。
ふぉ~ゆ~、SnowManときて、もう一組のその枠にどうして滑り込んだのか、正直自分にはわからない。
しかも公演数も結構あるし。
迂闊にクリエという単語を出すこともはばかられるくらいには、こえぇな、と思っていた。

単独公演をやりたい、と。

年明け、SHOCK関係で雑誌に載った時に明確に活字になっているのを見た時は、年に数回も載らない雑誌でSHOCK関係の取材なのにクリエの話ぶっこんでくるってことは勝算があるんだろうなやまもとぉぉ!…と、逆ギレしていた頃から、ずっとこわかった。

ずっとこわくて、ずっと夢見て、賭けてきた「単独」の響きが、3人だけじゃない、と、幕が開く前に手の中のインターネットが伝えてくる。

ただでさえ、こえぇ、という感情に支配されていたその上にざわざわ感が重なって、どうしようもないめんどくさい状態のままその「単独」の門をくぐった時、渡されたのは手紙だった。

印刷だけど、直筆の。
お世辞にも綺麗とはいえない文字の、でも必死なお手紙。

こういう、心動かされる瞬間に立ち会えるから、ジャニオタはめんどくさいけど、悪いもんじゃねーなとおもう。

そして、幕の開いたステージに、MADEはいた。
いたけれど、ざわつくことなどなかった。
いてくれて本当に心からよかった。
答えはいつも、ステージが持ってくる。

3人でやることに、俺はこだわってたんだけど。
そう、亮太ははっきり口にして。
その言葉を引き取るように、でもより良いものをつくるために、MADEがいた方がいいってなって、俺たちが直接お願いしました。
そう、翔太がいった。

りょーちゃんとしょーちゃんの意見は最初確実に違って、えだちゃんと3人で、色々話したんだろうなあ、と、透けてみえる。
それを人前でも、当のMADEの前でもはっきり口にできるその向こうに、小さい頃からみんなで一緒にやってきた、こちらには想像できようもないトクベツな信頼をみる。

3人にこだわってたと言いながら、自分のソロにがっつりMADEつけて、勘弁してくださいよって言われながら何度も何度も振付変更して、初日終わりにご飯連れてって2万6千円支払ってるその信頼は、到底想像がつきようもない。

それだけ厳しい世界で、そのなかで一緒にたたかって一緒に崖っぷちを残ってきた証明のような。

Jr.がJr.の時にグループ化して固定されることが、良いことなのかどうかは、実際まったくわからない。
かつんの例とか、えびキスの時代があったことが事実だとしても、Jr.の時にグループ組んでそれでデビューが理想郷だとしても、それが絶対的に良いことだとは思わない。
グループ化されることは、その外の可能性を消し去ることにもつながるからだ。
もっとも、グループ化された上で外の可能性も探っている雰囲気が見え隠れする昨今だけど、しかしやっぱりグループ化の鎖は強い。
年に3人一緒の仕事の方がもしかしたら少ないかもしれないThey武道のひとたちだって、それでも明確に3人であるという意識を持っている。

現在Jr.であるおれたちの安井姐さんは、グループを熱望してる。
どうしてか?という問いをずっと持っていた。
えびキス時代を見ていたからだとしても、それは自らの可能性を狭めることにはならないか、と。
Jr.でも個人でドラマ出るしガムシャラMCだしシアターEX出られるし、1人で新聞にだって出られるじゃん!と。

しかし。
その新聞で安井くんは言う。

グループのためになら、言えることもあると思う、と。

そうだったのか、と、おもう。

3人にこだわったのも、3人だけじゃない方がいいと思ったのも、それは自分のためじゃなくて、3人のためだからだ。

3人のためだから、They武道ってわけわかんない名前である日突然グループにされてしまった「おれたち」のためだからだ。

単独でやりたい、と、明確に活字になったあの時から、こわかったそのステージの幕が閉まる時、

さぁさぁさぁ!きましたっ!

って、りょーちゃんが嬉しそうにやってくる。

しょーちゃんとえだちゃんと嬉しそうに手をつなぐ。

「おれたち」が!

せーの!

\ぜいぶどう!/

何回聞いても、へんな名前だ!

けど、りょーちゃんとしょーちゃんとえだちゃんが嬉しそうだから、それでいいのだ!

これがいいのだ!