情熱物語【3回裏】

※以下の話は9割9分妄想で成り立っているので、うっかり読んじゃった方は、これ書いてる人はかわいそうな人なんだな、ってそっと離れていただければサイワイです…。

ジャニーズJr.の、俗に舞台班と呼ばれている人たちのなかに、They武道という3人組のユニットがあります。

嵐コンにも長いことバックについていて、LOVEコンの映像だと、翔ちゃんのソロでいっちばん最初に突然抜かれるJr.が山本亮太くん(やまもと・りょうた)、その次に画面向かって左から出てくるのが江田剛くん(えだ・つよし)、智ソロ最初のとこで智のすぐ隣の向かって左側にいるのが林翔太くん(はやし・しょうた)です。(えだちゃんとりょーちゃんは、智ソロでは上手のムービングで2人で踊っていました)。

あと、LOVEコン潤ソロの最初、向かって右から江田ちゃん・林くん・亮太くん、です。(もう1人はMADEの秋山大河くんです。They武道ではないので彼は背が高いのです…They武道はちっちゃい人の集まりなのです…)。

They武道は3人とも、ほぼほぼアラサーに突入しようかという、まぁ、いつまでJr.の看板でやってられるか、という、内側にいると忘れがちだけど、外から見ると、大丈夫なの?って言われそうな、まぁでもとりあえず大丈夫ですよという人たちです。(あ、ものすごいちなみにですが、「ぜいぶどう」って読みます…ヘンなグループ名なのは仕様です…)。

They武道はふぉ~ゆ~なきあと(しんでない)、M.A.D(松本幸大 ~コタくん。相葉ちゃんの話に時々出てくる「こーた」はこの子~ と、池田優 ~いけたん~ の2人組)とともに、気が付いたら嵐コンバックの最年長クラスになっていました。(一時期は全員「エム・エー・ディー!(M.A.D)」って紹介されてたくくりの中にいた人たちです)。

長年嵐についてるので、それなりに(というかかなり)仲良しなところもあり(LOVEコン映像のアイデラのとこでニノと電車ごっこしてるのは江田ちゃんでござる)、それなりに任されるところもあり。

LOVEの札幌初日、ムービングが動かなくて諸々急に変更になった時、FUNKY終わって急遽引っ込むJr.列の途中にいた亮太くんに、潤くんが自分のペンライトを、顔も手元も見ずにぱっと渡すくらいには、そこには信頼がある、と、おもいます。

そのThey武道の3人が、今年の5月、はじめて、単独の冠がつく公演をシアタークリエで行いました。

シアタークリエでは、ここ数年にわたって、その時期にジャニーズが主軸となる公演を行っています。今年はジャニーズ銀座と銘打って、何組ものJr.がいろんな組み合わせでメインとなる公演を連続してやりました。

そのうちのひとつが、They武道の単独公演でした。MADE(このユニットも嵐コンバックについているです)にサポートしてもらって、3日間、5公演やりました。

They武道は、その前年のクリエで、屋良ちゃんと一緒の公演をしています。その中で、They武道として歌った4曲が、ワイルドアットハートスワンソング・two(智ソロのやつ)・Yes?No? でした。
これ、スワンソング以外嵐だし、Yes?No?って2013年の今なんでそれ持ってきた!?って話だし、twoってそれただのファンがやるやつじゃね?(林くんが智好きなのです、智ソロのバックにつけてくれってスタッフにお願いしに行くくらいです)って話だし…。
この段階で、Yes?No?を選んでくれた段階で、もう、あれ?思ったよりこの人たち嵐好きなのかな…、っていう感じではあったわけなのですよ。

そして、今年の、クリエ単独公演。
これを見て、昨年のYes?No?を含む4曲は、本人たちがやりたいと思って持ってきた楽曲で、全部が本人たちのプロデュースだと、改めて思うようになりました。なぜならば。

なぜならば。この人たちは、嵐を「知っている」。

嵐のつくるコンサートの、なにがいいのか。どこを大事にしてきたのか。なにをどうすれば、コンサートをまったくの無の状態から「つくることができる」のか。そして、松本潤にコンサートのすべてを掌握させることの利点を理解して、「知っている」んだ…と、おもいました。

They武道の単独公演は、構成を林くんがつくりました。

振付を、ほぼほぼ亮太くんがやりました。

(本人たちの弁では、江田ちゃんは「マスコット!」らしい)(ぶどう、にひっかけてマスカットとかいうギャグではない)(ちなみに最年長です)(グループの最年長ってのはどこいっても!もう!好き!…という話です)。

単独公演の初日が終わって、亮太くんと江田ちゃんはMADEを連れて食事に行ってしまいました。

その間、林くんは、ごはんも食べずに、会場で公演のVTRをチェックして、照明の細かい調整をしたりしていました。

その話を翌日公演のMCでしてる時、亮太くんが言ったのです。

「それはぁ、(林くんが)そういう役割だからぁ」

……!!!

ちょっと、わたくしの中に稲妻が走った(大袈裟)。

つまりそれは、林くんが、構成の役割として、潤くんがやってきたようなことを、当然やるもんだと思ってるってことだとおもーんですよ!
それを、周囲も、そーいうもんだと思ってるってことだとおもーんですよ!

構成を担当するとはそういうことだと。終わってからチェック、微調整、変更、固まるまでは、何度でもそれを繰り返す。そして、全員で、その構成が求める最高地点をめざす。
コンサートとはそうやってつくっていくのだと、そう、認識しているっていうことに他ならない。
そして、私はそれが、猛烈に、もう本当に本当に、うれしくてしょうがなかった。
すごいヘンな言い方だけど、潤くんに、見てほしかったというよりは、見せてあげたかった。あのひとのことだから、資料映像くらい見てるかもしれないけど。

ちゃんと伝わってる、潤くんが昔っから、ずーっと昔っからやってきたこと、ちゃんと伝わってるって。

私の記憶が確かならば、潤くんが、コンサートの構成というものを始めたのは滝沢くんの影響で、滝ちゃんがドラマで忙しかった時に、潤くんがやることになったんすよね。15歳とかそのくらい。
滝沢の右手は当時から誰かをかわいがるためにあったけど、潤くんには結構厳しくて、この時もなかなかオッケー出してもらえなかったはず。
滝ちゃんのお家で構成やってて、当時滝沢家の居候みたいになってた一男もいて、潤くん仕事してんのに一男が横で寝るってすごく怒ってて…って自分この話するの多分500回目くらいなんすけど許して…。

そういう環境下で育ってきた潤くんなわけで、コンサートとはあたりまえに「つくるもの」であり、つくることをまかされる、ということは、それは周囲が味方でなければ成立しないことで、そこにあるのは信頼だろうとおもうんです。こちらには想像のしようもない、途方もなく深い、信頼と呼べるもの。

コンサートとは情熱であると、そして、自分自身であり、自分「たち」そのものであり、信頼がつないでいくものだと、そう、潤くんに教わったのです、わたし。

そして、それを見てきた人たちがちゃんといて、その人たちは、それを、あたりまえのものだと自分たちのなかで咀嚼して、潤くんのつくり方を、意識的にか無意識的にか、再現している。ほかの要素もたくさん入ってるんだろうし、そうやってるのは潤くんだけじゃないし(それこそ滝ちゃんとかね!)。
でも、ホテルの部屋でその日のVTRチェックしてる潤くんと、一緒に映像見てくれたりしたんだもんね。

They武道初の単独公演3日間5公演が終わる時、最後の最後に選ばれた曲が、感謝カンゲキ雨嵐だった時、なんとゆーか、なんとゆーかもう、Theyが嵐につき始めた時っていうのは、(振り返ってみれば)ちょっとずつ嵐が売れる兆しが見え始めてた頃で、あんまり楽しい思いもさせてあげられなかっただろうとおもーのに、最後にこれを選ぶのかって、ほんとに、感慨しかなかった。
そんなに好きな先輩じゃないだろうと思っていたのにw、全然そんなことなかったんだなーって。

ほんとにね、こっちの勝手な思い込みなんだけどさ。
潤くんのコンサートにかける情熱の形をあたりまえのスタンダードとして、自分たちのなかに落とし込んでるJr.がいるって、ちょっとすげーことだとおもったんですよ。
それなりに距離は近くて、それなりに任されてもいたけれど、そこまで近くはなかったはずの、そこまで近くはないはずのJr.に、その熱がこれだけわかってもらえて、最後の最後に感謝カンゲキを選んでもらえて、忘れかけてたYes?No? を引っ張り出して大事にしてもらってるっていうのはさぁ。

潤くん、時に空回りするような強い強い情熱を、ずっとずっと持ち続けてきてよかったねって。

勝手に、ものすごく、感慨深かった(わたしが!)

潤くん、おたんじょうびおめでとう!

その情熱を傾けられる場所が、いつまでもいつまでも君の腕の中にありますように!