恵まれていたのに何が不満だったんだ、とか、やっぱりイヤだったのよ、とか、そういう話では決してないだろうから、余計、重いような気がした。
単純に自由になりたい(ここを辞めて)
そう、思っていたのは、「2006年」から、だと言った。
11月生まれの少年の、人生のほんの小さな小さな一部分を、なりゆきでなんとなく、15歳とか16歳の頃からほんの、ほんとにほんのちょっとだけを見せてもらっていて思うのは、「単純に自由になりたい」というその一言が、彼の根底に綿々と流れる水脈のようなもので、この水脈が止まることはないし、止まる必要もないのではないか、ということ。
単純に自由になりたい。
ここがいやだとか、誰が好きとか嫌いとか、仕事をするとかしないとか、役割を果たすとか果たさないとか、恵まれてるとか恵まれてないとか、責任を伴うとか伴わないとか。
そういうことじゃなくて。
単純に、自由になりたい。
何になりたい、とかじゃなく。
単純に、自由になりたい。
11月生まれの少年に、そのチャンスはたくさんあったように思う。その昔、いくらでも。タイミングも、いくらでも。
一瞬、チャンスの淵に飛び込んだように見えたこともあった。こちらから見る限り、京都の公演が終わっても東京に帰る素振りをみせなかった11月生まれの少年は、単純な自由の淵に飛び込んだように見えた。
それはある意味、予定されていた未来のような気がしていた。
願わくばもう一度、東京のJr.のなかで見たかった。そう思った。
けれど、京都でCoolを見た。
10代を切り取ってあの劇場に閉じ込めたんだと思っていた。
この先のことに、何の興味もない。
そんな風情を身にまとって、あまり将来の渇望も予感させない、そんな黒い眼をしていた。
その瞬間を、京都のあの劇場に閉じ込めたんだ。
だから悔いはないはずだ、と。
ここまで続いたことがもう奇跡なんだ、と。
あの時彼が何を思い何を考えていたのか、実際のところは、わからない。知らない。ただ。
いなくなることを、予定していた。
いつか、ここから、いなくなることを。
しかし。
結果として彼は東京に戻り、今がある。
2006年は、嵐に売れる兆しがみえてきた年の始まりで、そこから国立まではあっという間、その勢いのままに10周年がやってきた。
11月生まれの少年は、そのとき、われにかえった、と、口にした。
いつかはいなくなる。
それを承知で、踊る姿をずっと見ていた。
「単純に自由になりたい」
言葉にすればそういうことだったのかと、ふりかえる。
2006年よりずっと昔のあの頃も、言葉にすればそんな形をしていたのかもしれない。
「この気持ちのまま一緒にいれない」「申し訳なくて」
やさしい、と、言われていた。
親しみも現実感も込めて、ひでー奴だひでー奴だと言われていて、でもなんかスゴイ人だと認識されていた11月生まれの少年は、しかし、やさしいのだ、と。
やさしいのだ。
今年の流行語大賞、「スライドにしようよ」でいいんじゃねーのって。そのくらい。
やさしいのだ。
実際、今ここに彼がいる理由は一つだけではないだろうし、何がどうしてどうなってこうなっているのか、説明しろと言ってもそれはきっとむずかしい。
こっちだって不思議だ。
なに、笑ってCMやってんだ。人から言われた通りに笑って演技してCM仕事してるなんて。あの。あの!11月生まれの少年が。そんなことする人じゃなかったし、そんなことしてほしくもなかったはずだ。そんなこと望んでもなかったはずだ。ただ、この先のことなんか知らない。そんな黒い眼をして踊っていてくれれば。たとえそれが一瞬のことでも、それでいいと思っていたんだ。
それが。
悶々としたり、もやもやとしたり、自由になりたかったり、そうでもなかったり、われにかえったり。
たとえ、そういうことの繰り返しでも。
それを越えて、ここにいてくれて、それを見ることができている。
悪い年の取り方じゃないし、悪い年月の過ごし方じゃない。
それは、恵まれているとか売れたからとかデビューできたからとか、そういうことじゃなくて。
悶々としたり、もやもやとしたり、自由になりたかったり、そうでもなかったり、われにかえったり。
そういう11月生まれの少年が、まだここにいて、まだ、踊っているその姿がここにあるということだ。
それを抱え込んですすんできた嵐の底が、案外広くて良かったということだ。
これまで、に、乾杯して、これから、に、祝福を。
おたんじょうび、おめでとう。