中間地点

2014年のクリエ。

SHOCKに出たこと、「裏切者」って滝沢くんからメール来て、「しにたくなる」って、結構真顔で言ってたりょうちゃん。クリエではSHOCKの曲も、歌舞伎の曲も両方みんなでやって、これ歌ったから俺も歌舞伎出た!って言ったりょうちゃん。

江田ちゃんに、亮太が今年の歌舞伎出てたら何の役やりたかった?って聞かれて、しばらく考えた後、「よしつね!」って言ったりょうちゃん。言った後、「あっ!」って言って、「まさかどでもいい!」って言ったりょうちゃん。

2015年のクリエ。

3人で歌舞伎に出た。そのことを、しょーちゃんが「ファンのみなさんには、お待たせしてしまって」って客席に向かって言った時、客席から見て横顔のりょうちゃんは、「いたい」っていう顔をした。

ものすごい正直な話、自分は歌舞伎より全然SHOCKの方が楽しくて、出番も多いし、踊るし、何よりすごく大事にしてくれて公園の0番で踊らせてくれるし、あと自分は演舞場も数回しか見たことなくて、そっからのJr.の歴史的な素養がまったくなかったから(ちょうど、いわゆるえびキスの時代にジャニからは離れ気味だった)、SHOCKを捨てて歌舞伎を取ったっていうその理由がもう本当に一ミリもまったく一切わからなかった。初日、茫然としたもん。(オブラートに包まない仕様でお送りしております)。

このためにSHOCK捨てられるもんなのか…4か月分の舞台収入捨てたのかよ…って、ほんとに茫然としたんっすよね…。

だからこそ逆に、ひしひしと、このひと、They武道好きなんだなぁ、って思った。

They武道が好きっていうか、グループ、好きなんだなぁ、って思った。

4か月分の舞台収入捨てられるくらいには、好きなんだなぁ、って。

身長足りないチビっ子アラサーJr.3人で固まって、なんとかこの世界を渡ろうとしているのかなぁ、って。

それがなぁ。

自分、わりとはっきりそのあたりの線引きって記憶にあって、シンガポールのパンフ撮影、そのオフショがジャニショで売られてたんっすけど、その時まではすごい、固まってるんすよ、3人で。

それが。

これヤバイんじゃないか、と思ったのは2015、ジャポのドームツアーの時で、この時はまーーーーーーーーーーーーー(ながい)、りょーちゃんとしょーちゃんの目が一切合わなかった。

「嵐で和物で、悪いことなんかあるわけないっしょ!」って自信満々で初日の名古屋に行った自分は、とにかく全然3人じゃない印象を受けたことに打ちひしがれて、ジャポの構成どうこうとか出番がどうこうとか、そういうことをほとんど覚えていない。

3人しかいないって大変なんだな…空気の良い悪いってドーム規模でも伝わるんだな…いや私が勝手に受け取ってるだけやけどさ…でもさ…もっと違うやん…気のせいかもしれんけど気のせいちゃうやん…それでも踊れるんだな…それはすごいな…。

よくわからないけどとにかく心配である、これは心配という感情だ、という、それだけを抱えて、結局この年のジャポ、5つのドームに行ってしまった。

あれは私の心配という感情が見せた幻だったんだろうと思う。

言葉にすれば、「3人じゃないんですよ」という言い方しかできないくて、それでは何も伝わらない。ざらっとした手触りだけが積み重なっていった。

ジャポをやっていたころ、V6兄さんの周年祝いがあって、その流れの飲み会で嵐5人を含む黄金期同窓会のようなものが勃発し、嵐がグループLINEをつくるというようなこともあり、…端的に言って、たぶん、事務所も揺れていた。

みんな揺れていたんだろうと思う。それと関連しているわけではないだろうけど、幸大が1人になったのはジャポの始まる前の秋だった。

「3人じゃない」という印象を受けるのとは逆説的に、この頃、りょうちゃんは、3人だよ、と連載で熱く語っていた。3人の手が星型をつくる写真が載ったのもこの時だ。えだちゃんの連載も然り。しょーちゃんの連載は、様子がおかしかった(様子がおかしい、と明確に私が認識したのは9月の更新である。だから、振り返ってみればドリボくらいからだな、という結論に現時点で至っている、という余談)。

えだちゃんは、りょうちゃんの側についてる感じがした。りょうちゃんしょーちゃんは話すどころかまったく目線も顔の方向も合わないくらいだったけど、えだちゃんはそこまででもなかった。しかし、繰り返し見ても2-1なのは明白であり、3人で2-1になることは基本的に避けるべきことである、ということくらいわからないわけはなく、そして自分は何をどうやってもりょうちゃんの側から物を見るわけであって、「林おまえ何したんだよ!?江田が山本側についてるってどういう!?何したんだよ!?」みたいな感情も正直なところあった。

9月の更新時点で、しょーちゃんの連載の様子がおかしかった。どっからどう見ても仲悪いのに、りょうちゃんとえだちゃんはやたらと3人を強調する連載を更新している。

この理由が読み解けない。読み解く必要はまったくないけど、自分はいらんこと考えるタイプのおたくだから、この、読み解けない、ことがストレスだった。

揺れている。そういうことなのだろうか。単純にそういう時期なのかも。よくある話。

知る由もない、わかりようもない。

ジャポ、ドームツアーの最後の日。

They武道、と紹介されて。

私の記憶が正しければ、それまで、手なんかつながなかったのに。

真ん中にいたりょうちゃんは、左手を江田さんとつないで、右手を、ノールックのままで、しょーちゃんの左手を探して、その手をつかんで、上に引っ張り上げた。ひっつかむ、という単語が多分正しい。

闇写には、外側を向いて片足をあげているしょーちゃんが写っている。

手を探したのもびっくりしたし、その手をふりほどかれなかったこともびっくりした。

よく考えれば(よく考えなくても)ふりほどかねーだろ、という話だけど、この時自分は、りょうちゃんが右手でしょーちゃんの手を探したところでその手はみつからないし、避けられるんじゃないかと思っていた。

だから、その手をりょうちゃんが探し当てて、ひっつかんで、勢いのままその手を頭上に持ち上げた時に。

少なくともりょうちゃんは、つないだ手を離す気はないんだな、と、思った。

でも、もう、30歳も目前だし。いろんなこと、考えるだろうし。

それでも。ノールックでも、その手を探してつかむんだ。

手を離す気はないと、その意志をドームの最後に見せてもらったから、それが結果的にだめだったとしても、それならそれで仕方ない。

いつ、2人になると言われてもいい。いつ、They武道の形がなくなってもいい。結果的にそこが着地点になったのなら、それでいい。

ひと、だから。ひと、が集まったグループだから。

いい時もあれば、わるい時もある。わるい時に、離れたくない。

そして、2016年の秋、応援屋には2人だけ出るという。前の仕事があったとしても、出られないわけではないことはヒロキが出演することで証明している。期間中にひとつ他の仕事があるけれど、そのために2週間拘束される仕事ではないこともはっきりしている。

でも、出ない。じゃあ、確定じゃん。これ、応援屋終わったら2人になるわ。

しぬほど泣きながら、そう思ってた。2015の秋から2016応援屋が終わるまで、本当に、感情のアップダウンがすごかった(私の)。こんな不安定になる!?って、ちょっと自分でびっくりした。年とっても感受性というものは残るので、それがマイナスに働かないようにほんと気を付けようと思った。(老後の私へ、本当に気を付けてください)。

わるい時に離れたくない。着地点を見届けたい。アップダウンする感情のなかで、ずっと思ってたこと。

そして、ジャポの初日から、1年たった11月。

2人じゃなくて、6人だった。

そうきたか、と思った。

2人になるという選択肢も、ここ2年くらいのうちに辞めるという選択肢もないんだな、ということに、単純に力が抜けた。わたしの情緒不安定とストレスに慰謝料がほしい、と、ちょっとだけ思った(笑)。

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ここまでを。

わたしは、2017年のうちに、書いていた。

いつか2人になった時にupしようと、綿々と残しておいたネット上の下書きをとりまとめて、しかし、この後、希望に満ちたことが書いてあった。

湾岸だ。

亀ソロを経ての湾岸で、美しいものを見た。

3人でともに歩める未来を模索するなかで、3人だけであることを捨てた。

3人だけであることを捨てて、その代わりに、3人でともに歩める未来を選んだ。

ひと、だから。ひと、が集まってグループになるから。

よい時も、わるい時もある。よい時、が、また、巡ってきたんだ。

そういうことだと、思っていた。

でも、それは全然違ったみたいなので、そのあたりの記述は、4月2日に捨てた。

自分の目がフシアナすぎてなんというか、今まで綿々と書き溜めていたこの記述も、全部見当違いのような気もしている。

まぁ、でもね、「ほんとうのこと」なんて、絶対誰にも、本人にだってわかんないんだから、これはこれで、私の中のほんとうのことであるには違いない。

誰を通して物事を見るか、によって、物事は白にも黒にもなるし、一瞬にして反転もする。

誰が言ってる、誰が評価してくれてる、そういう話じゃなくて、私が見たものを私が信じていくしかない。フシアナだけど。

ジャポの最後につかんだ手は本当だ。それは、信じている。ずっとね。