てのひらをかえす、とは何か ーみんな普段は黙ってる。

単純に私の心が狭いという話と、私今年からネット上でぶんさんが書くものに関しては、必要以上に気を使うのやめました、「こう書いちゃったらこの立ち位置のひとはつらいからこう書くんじゃなくて書き方としては…」とか、考えるのやめました。っていう前置きがまずあります。

滝沢「社長」就任に関連する今回の一連の事変(私にとっては事変だわ)に関して、わたしの立ち位置からすると、良いことなんかひとつもないように見えますけど!? っていう結論になるんですけど、まぁそれは私の立ち位置からなわけで、良いこと、でも全然かまわないですし、個人的には、いかにも!滝沢!とは思っています、という特に意味のない前置きを続けまして以下本題。

今回私がすっごく思ったのは、「てのひらをかえす」ということについて。

掌を返した、みたいに外側からは見えるんだろうけど、掌を返したとされる側からいうと、「いやいやいやいや、ずっっっっっと黙っててあげただけですけどこっちは!?」っていう感情の方が強くて、そうしてずっとずっと黙ってきたひとたちが、私が想像するよりずっとずっとずっとたくさんいた、っていうことが、現象としてすごく興味深かった。

すのはひたすら滝沢についてきて、妙なドッキリやらされたり、滝沢に言われたらなんでもYesなのかよ!ってなったり、グループに序列持ち込むなよ!って思ったりしてたひとも結構な数でいたんだけど、「滝様!さすが!」っていう声に別に水を差さなくてもいいから、単純に黙ってただけなんだよね、っていう。

それはこっちも同じで、歌舞伎の千穐楽の手紙はなんだよそれは楽屋でやれよ!とか。

あと「抜擢」。これを人事統括ツールにしないでくれ、滝沢が誰かを贔屓するのは勝手だし、贔屓した挙句に仕事与えるのも勝手だけど、オキニ祭りにはしないでくれ、…って、思ってたひとも、単純に黙ってた。「滝様!さすが!」の声に水を差す必要はないから。

某林さんの一件もそうだったとおもうの、多かれ少なかれ滝沢の関与じゃん、って思ってたけど、それはみんな黙ってたんだよね。でも一年もたたずに目黒さんがまったく同じことになったら、洗脳みたいだなんだって、わりとみんな口に出し始めちゃう。私ももう、まったくオブラートに包む気もない。依怙贔屓をするのは勝手だが、それを努力だの実力だのに置き換えて人事統括に使ってんじゃねぇぞ、って、ガンガン書いてる。

そりゃそうだよ、だって、ずっと思ってたことだもん。ずっと思ってて、でもずっと黙ってたことだもん。2年連続やられたら、そら言い出しますわ。

でもさ、ずっと黙ってて、ずっと黙ってしれっと、「滝様!さすが!」「さすが!」っていうのに水を差さなかったこっちの努力を台無しにしないでほしい、いやまじで。

ここまでロコツなことをされたら、「いや何してくれちゃってんの!?は!?今まで黙ってたけど、ちょっとこれはナシでしょ!?」って、なる。

それは全部、外側からは、てのひらをかえした、ように見える。

それは全部、内側からは、「ずっと黙ってただけなんですけど」って、言いたくなる。

2/5の目黒さんの更新に関しても、ちょっとこれがある。

なんであんまりかばえないかっていうと、これも「ずっと黙ってきたこと」のひとつとして、わりと、「いやおまえがまずちゃんと踊れよ!?」って思ってたひとがいたんだな、っていうのが、多分、ある。

体力がなくて途中で魂が抜ける。完全に抜いてしまったように見える。特に、嵐コンバックでそれが顕著。周囲は百戦錬磨のお兄ちゃんたちだから、どんだけ報われない環境だろうが表情もつくるしビシバシ踊るから、余計に目立つ。

しょうがない、って、思ってた。若いんだし。そりゃあ、こんな出番少なくて、個人名も紹介されないようなところでね、振付もそんなめずらしいものもないし、なにしろ嵐コンだから客席に自分のウチワ持った子だって少ないし。だから、あんまり表情つくれないのも、魂抜けてるのも、しょうがないよね。

Jr.紹介のバク転失敗するのも、しょうがない。最後にはとうとう免除されてたけど、それも、しょうがない。いいよ、大丈夫、スタンディングからのバク転ができなくても、ロンバクならできるじゃん!いけるいける!大丈夫!がんばれ!

あんまり楽しそうじゃないのも、しょうがないよね。ダンス、そんな見せ場とかもないもんね。そうだよね、大事にされてないって、思っちゃってもしょうがない。誰も見てないって思えちゃうもんね、しょうがないよね…。

…そう思ってた。わたし。だから、ニノと翔さんがわざわざ目黒さんに話かけにくるっていうことを、目黒さんが連載に書いていた時、「もしや魂抜けてるのバレているのか!?気を使われているのか!?」って思ったくらいには。(実際には、嵐はそれどころの騒ぎではなかったわけだが)。

でも、べつに、そんなこと、指摘してこなかったわけじゃん。それがいいことかよくないことかはわかんないけど、まぁ、そういうもんだよね、っていうことで、悪いようには声高に言わず、「黙ってた」わけじゃん。

「黙ってたのに」って、思っちゃうんだよね。

こっちが黙ってたのに、ずっと黙ってたのに、そっちがそれを言うのかよ!?っていう。

しかも、2/5の件で、南座の歌舞伎のことでも、そっちがそう言うなら、っていうことで目黒さんに関してツッコミ入れてるすの担のひとが散見されて、マジかー、そうかー、そうだよな…黙ってた、んだもんな…黙ってたのに、実力とか言われだしたら、はぁ!?実力見せてもらってませんけど!? って、なるよな…って、おもった。

とってつけたようだけど、だから目黒さん個人がどうこうという話ではない。

誰しも、誰かの何かに対して、黙ってたことと、黙ってることがある、っていう話だ。

そしてそれは、どれだけネット上に検索をかけたところで、拾えるわけもない。だって「黙って」いるからだ。

検索に引っかかってきたものだけで、実像は組み立てられない。

「黙ってた」こと。

「黙ってる」こと。

みんな、たくさんたくさん、あったんだなぁ…って。

そんなの、あたりまえのことみたいにみえるけど。

普段、何言われても、どんなひどいことされても、はいはいそうでございますね、って気持ちを流しながら黙ってきたひとたちが、何かのタイミングで、ぶわっと黙らなくなるっていう現象の、その、引き金、みたいなもののラインはどこにあるのだろう、みたいなことを今は考えている。