突然ですが兼任の話します。
1/17直後はweb連載上で動揺してる感じだったけど、その後の宇宙Sixは
・知ったタイミングは新聞と同時
・宇宙Sixは5人
・目黒は兼任
・それぞれの時はそれぞれがんばる
・目黒を通して宇宙を知ってもらえれば
・目黒が居やすい環境をつくらねば
…っていう統一見解を出したわけなんすよね。
わたしはこの案件のすべてについて1ミリたりとも許してないし許すつもりもない。
けど、行儀の良い統一見解を出されるし、黙って待ってろと暗に連載で指示が飛んできたしで、許すつもりもないわたしとこの統一見解とには、果てしない溝がある。
今回はたまたま、バカにすんなよ!?っていう案件であることがこっちにもわりとわかりやすく伝わってしまってるけど、この18年の間にはもっと「ふざけんなよ💢」な案件がいくつもあったのかもしれない、とも思うけど。
わたしは怨霊なので、お行儀の良い統一見解に対して、その通りだねがんばろうね!とは言えない。菩薩にもなれない。
怒るのに疲れた後は、ただ、そこに溝がある、と自覚して、溝を溝だと眺めて、ただぼんやりと虚無っている
虚無に突入することを気合いが足りないと認定されること自体に虚無がつのるし、「みんなの声」っていう表現にも疲弊の気持ちの方が強い。雑誌も買うしwebも読むし動画も見るけど、咀嚼できてるかといえばできてない。
前は読んだらわかったような気がしてたことも、今は正直わからない。
現場もあんまり行くつもりなかったし、行かなくても平気になると思ってたし。
結果、今は通い詰めてるけど、多分行かなくても別に平気なんだとおもう。
行かなくてもいいけど、今は行きたい。
今はこれを見たい。
web見ても文字を読んでもただそこにあった溝を眺めてるだけだったのに、ステージに立つ姿からは、そこに溝を感じる隙がない。
「最高」は常に常に更新されていく。
ファンっていうカテゴリーから自分が外れたとしても、ステージは見続けたい。かもしれない。
もし、そこにいる、という選択をし続けてくれるのならば、って条件がつくけれど。
そこに最高が絶対にあるし、最高はそこにしかない。
幕が、降りないうちは。