青山劇場の冬

坂を上り切ったら、青山劇場は冬だった。2015年1月。

多分2012年以来に、青山劇場でTravis Japan9人が揃うことになっていた。

ステージの上で。

結果として、揃って踊ることは、できなかったけれど。

1階、V列の19番。機材で半分ふさがっている1階席のいちばん後ろ、一般には売り出されていない席。振付の方とか、事務所関係者的な人がいつもは座っているような、その、V19が、初日直前に骨折して踊ることができなくなった、あらんちゃんの指定席になった。

阿部顕嵐、くん。

その時まだ、高校生。

青山劇場も、日生劇場も、思い出に残っている姿はたくさんあるうちの、超個人的な話を書きたい。

わたしが、通路から2席目に座っていた時の、話。

舞台をするすると降りてきて通路を歩きながら、あらんちゃんはにこにこしつつ通路脇の人に両手でハイタッチして、内側の席の人に手を伸ばして求められればそこにも触れて。

あらんちゃん、若いのに上手だなぁ、客席が怖いっていう印象は持ってないんだなぁ、人あたりの印象がほんとにやわらかいんだなぁ。

そんなことを思いながら、ぼんやり見ていた。

わたしは自分自身に対してとてもとても卑屈なので、そういう時、ただ、ぼんやり見ていることが多い。わたしより、ほかに手を出す人がいるのだから、そちらの相手をしてあげた方がいいのではないか。卑屈さからくるそんな思考がベースにあって、だから、ただ、ぼんやりと見ている。多分、感情のない顔をして。

その時も、感情のない顔をしていたと思う。

わたしの隣の、通路側のひとが両手をあらんちゃんに向けて差し出すと、あらんちゃんはそれに対して、本当にやわらかく、ふわん、と触れるように同じく両手で手を合わせた。

にこにこしていて、やわらかい。

全体の印象はどちらかといえばシャープなのに、印象がやわらかいなぁ。

そんなことをぼんやりと考えた。目線だけは、そっちに向けていたと思う。

その、目線に、ふっと、あらんちゃんの両手と、にこにこしたままの顔が飛び込んできた。

手を出していないわたしに対して、あらんちゃんは、

はい次貴女ですよ!お待たせしました!

…みたいな。

そんな空気を纏いながら、両手を出してきて、くれた。

多分、感情のないまま、条件反射のように両手を出したわたしの手に、ずっとやってきたように、おんなじように、ふわん、と手を重ねて、にこにこしたまま、ふわん、と、離れて行った。

もうひとつ。

2015年の冬、V列19番の席に座っていたあらんちゃんの隣に、梨本くん(元Jr.、現在、嵐コンの振付等を担当している人)が座ったことがあった。

開演前に、松葉杖でやってきてその席に座ったあらんちゃんに、梨本くんが所属を聞いていて、それに対して「トラヴィスジャパンです」と発音していた。

ヴィ、って発音するんだな…って思ったことを妙におぼえている。

その日、客席降りで、1階いちばん後ろのあらんちゃんの席まで、せっせと階段を上がってきた江田ちゃんが、あらんちゃんとハイタッチしようとして梨本くんに気づき、おっ?いたの? みたいな顔したことも、妙におぼえている。

その冬、いつも、誰かしらがそこまで階段を上って来ていた。V列19番。

あらんちゃんとハイタッチしたり、頭ぐしゃぐしゃってしたり。

いつも、誰かしらがそこまでやって来ていた、V列19番。

揃うはずだった、と思っていた。

けれど、そこにはちゃんと9人揃っていた。

冬の、青山劇場。

プレゾン、楽しいばっかりじゃなかったと思う。どんな仕事だってそりゃそうだよって言われたらそれまでだけど。年功序列、体育会の権化みたいな先輩がかぶさるようにわさっといたし。

立ち位置が前か後ろかとかは、わたしは気にならなかった、し、平等かどうかとかも、考えたことはなかった。でも、どの曲に出るか、どの曲に出してもらえないかっていうのは、それは、引っかかったことがたくさんあるし。

わたしはりょうちゃんばっかり見てたけど、すっごい出してほしかった曲に出てなくて、ほんっとに悲しかった時もあるし。

めんどくさいことも理不尽なこともうっとおしいこともダークなことも、それはそれはきっと山ほどあって。

それでも、みんなで、フラットになって、踊るから。

出てるひと、全員で、みんなで、全身全霊で、息も絶え絶えになって、踊るから。

それで全部チャラ、みたいなところもあって。

だから、プレゾン好きで。

とても、好きで。

それを、好きだったことに、疑いはない。

幼かったあの夏も、松葉杖のままだったあの冬も。

マイナスもプラスも全部抱え込んでくれるプレゾン。

青山劇場は、あの坂の上にある。

99年のぼく。

そのむかしノストラダムスの大予言というのがあって、それによると1999年に地球は滅亡するはずだった。今はそれから20年近くたってしまって、しかし滅亡はしていない。

最近滝沢が映画の宣伝でよくテレビに出ていて、そのたびごとにあの頃のJr.の話が出てくる。私のなかでは、99年の1月にぱたっと途切れている黄金期と呼ばれるもの。

滝沢がMステで謝罪しているのはリアルタイムで見た。1回。

そのあとすごく長い間見られなくて、10年後くらいに何かの動画で見たかもしれない。あの時期の番組、3か月分くらい多分あんまり見ていない。それこそ、10年後くらいに何かの動画で見るくらい。目にすると、あぁ、この時の、悲しかった時期の滝沢は綺麗だな、と無責任に思う。真っ白だな、とか。

99年1月。雑誌はFRIDAY。パーティーっていうか、まぁ、そんな感じのところにジャニーズJr.が4人いて、それはどうでもいいんだけど(よくないけど)未成年飲酒の話もそこに含まれていた。

後日、そもそもそこにJr.が4人いたのは、当時やっていた番組のスタッフが誘ったからだという話になって、その番組は終了した。目に見える大人の責任はその、番組が終わったことくらいだった。後日談。

雑誌が出た時、おたくが何したかって言ったら、99年も今も実はやること変わってなくて、まずショップ行って写真の所在を確かめた。

私は雑誌の発売日の夕方に行って、とりあえず変わらずに写真がそこにあることに安堵した。雑誌にどかーんと写真入りで載っちゃったから、謹慎かなー、とかは思っていた気がする。ムードとしてはそんな雰囲気だったと体感の記憶がある。約20年後の今ほど、インターネットもSNSも生活のなかに入り込んではいなかった。

急転直下になったのは、警察が動いたからだ。

NHKの夜7時のニュースで取り上げられた。任意の事情聴取だったと記憶しているけれど、そのあたりは曖昧だ。

これをきっかけにして、結局、4人は解雇ということになった。

未成年で、Jr.だったけど、「解雇」っていう話だった。どういう雇用関係で、どういう契約状態だったのかは知る由もないけど。

スキャンダル的な話っていろいろあるけど、端的にいって、女関係で処分されることはない。ツーショが一般流通してる雑誌に出て当人が取材を受けてしまっている or 新聞沙汰になると、事務所はコメント出さざるを得なくなるけど、それ以外は基本スルーでいく方針なのはこの20年変わってないとおもう。

何かしらの処分的なことが出てくるのは、それが法律にひっかかる時。

この時、警察沙汰になってから、にわかに雲行きは怪しくなった。

何してたっけなー、とりあえずめっちゃ手紙っていうかハガキ書いてた。応援している、この人を好きな人がこれだけいますと、それだけを伝えるためにハガキ書いてた。

…こう書くと約20年やること変わってなくてすげーな。

結局。

解雇、の決定が出た日は確か翔くんの誕生日だった。寒い日だった。

滝沢がテレビで頭を下げたのは、それだけを「今」話に聞くとなんだそりゃって思うけど、当時はなんというか、滝沢というアイコンは、それをするためにど真ん中にいる権利を与えられているというような状況はあった、と、おもう。ひどい書き方してるけど、でも体感はそんな感じ。

ももっとなんていうか。

その、解雇になった4人のなかに、当時滝沢がものすごく、依存する形で仲良かったJr.がいて。あれは、ほんとに、あの時期の年齢のJr.にありがちな、でももっとそれ以上の依存、みたいな。

滝と翼は当時本当にびっくりするほど仲は悪くて(悪いように見えていて)、いや、仲が悪いっていうより互いの姿が見えてないみたいな。別にそれはライバルとかそういうことでもなくて、単純に合わないっていうか。そういう。

でもそれは滝と翼に限った話じゃなくて、滝沢がすごいとかすごくないとかいう話じゃなくて、滝沢が真ん中にいることでJr.は商品になったんだけど、それはその、仕事じゃない感とか、部活感とか、そういうものを滝沢を真ん中に置くことで商品としてパッケージにしていたというか。

そのパッケージが、仕事じゃない、っていう感じを商品にしていたパッケージが、外から乱暴に割られてしまったみたいな。それが、99年1月の話だったと思ってて。私は。

責任を取らされたのはこどもだし。それは滝沢も含めて。

だから事務所がーとかそういうことじゃなくて、この件に関連した大人も、悪いことしたんだから解雇はあたりまえって言ってた人たちも、絶対ゆるさないって思ったし今もゆるさないと思ってる、けど。

そして、その後。

ずいぶん長いこと、滝沢はその、仲が良かった1人のJr.とお揃いで買ったと自慢していた指輪を、長いこと長いことつけていた。

ずいぶんと、長いこと。

お揃いだと自慢していた、その指輪を、ずっとずっとつけていた。

真ん中のアイコンだった滝沢の唯一の感情のような気がしていたけど、それはこっちの勝手な想像でしかない。

解雇、という結論はJr.の中も外も結構荒れたように見えたし。

そういうなかで、夏に、滝沢と翔くんと相葉ちゃんとニノとじゅーんがラスベガスとか行ってて。すごい余談なんですけど、この時相葉ちゃんとニノあんま仲良くなくて。人間関係とか、すごいいろいろ変化していくような時期で、そういう、荒れてるなかでデビューとか言われてもそれは本当に荒野がすぎるというか、砂漠に放り出されるみたいな。

いろんなことがあった、すべてのジャニーズJr.のなかで。

ほんとに、これでデビューして、それで終わりでいいのかよ、みたいな。

怒りにも似たような、やるせなさっていうか。

うれしいとかうれしくないとかじゃなくて、混沌、っていうか。

ただ、嵐は、嵐になって。滝沢は真ん中にいるアイコンであり続けるっていう。

そういう、地球が滅亡するはずだった99年。

もしかしたら、やってる方も、見てる方も、やめてやる、って思ってたのかもしれない99年。

「辞めなかっただけ」だって、斗真は言う。辞める決断ができなかっただけだって。

ある意味、辞める決断ができた人を羨望の眼差しで見ていたのかもしれないあの頃。(もしかしたら今も)。

今日は、2017年6月17日。

ハッピーバースデー、二宮くんと風間くんとぼく(五関くん)。

みんな、よく辞めなかったと思う(特にニノ)(真顔でそう思う)(Jr.の頃、いつもいつも、明日辞めるみたいな顔してた)。

あの時の、みんなが辞めてやるって思ったのかもしれない99年に辞めなかったこと、辞められなかったこと、辞めていったこと、辞めさせられたこと。

それが良かったのか悪かったのか、それは、約20年たった今もわからない。

ただ、二宮くんと風間くんとぼく、は、今も所属があの事務所にあって、今日も元気に生きている(たぶんね!)

元気で、生きていて、ほしいのです。

しぬまでね。