できるだけ

めざましテレビに叩き起こされたのは1999年の夏の終わり。
ノストラダムスの大予言』では、世界が終わるはずだったその年。
あたりまえのように世界は終わらず、その朝私は固定電話の受話器を握って「大野が入ってるわよ!昨日のYahoo掲示板のメンバーが正しかったんだって!」と叫び、「嵐、ってグループ名、おかしくね?」と気がついたのは受話器を置いた後だった。

当時はJr.の全盛期。その年の正月にがくっとくる出来事があって、それに追い討ちをかけるように「嵐」
もう滝沢と並ばない、もうJr.名鑑に載らない、もう誰かのバックで踊らない、もうMAじゃない、もうMAINじゃない、etc.etc.…そんな喪失感を越えて、今がある。

宮城の、グランディ21。私の大好きな会場。仙台駅からは遠く、緑濃い山の中。帰りは終電時間との闘い。アンコール途中で帰らなきゃいけない人多数。そんな不便な場所にあるから、客席はなかなか埋まらない。

いつかのグランディ、アンコール。時計を見ながら出口に向かう人の群れ。アンコールのサービスで、うっかりその帰る人の群れの近くに登場してしまった翔ちゃん。

「ぜってー(帰ったこと)後悔させてやっからな!」

ちがうの翔ちゃん~グランディの立地が悪いのよ~!…って爆笑してしまいました、ごめんなさい当時の翔ちゃん(笑)

グランディ、私の大好きな会場。3月のあの日から、もうコンサートで使われることはないんじゃないかと思ってた。様々葛藤があったのだとおもう、現地では。

3月のあの日から、時々現地に行く。「自分の目で見ると違うよね~」とは、思わない。
ただ、わからないとおもうばかりだ。
原発20キロの境界線、家と家の間、ロープ1本張られただけ。手の届くところに真新しいお家、綺麗な花壇。海沿い、低い線量。
しきい値がないのなら、リスクを天秤にかけた上で、生活を優先することは良いことか悪いことか。そもそも、生活ってなんだ?

わたしにはわからないことばっかりだ。

ただ。
アイドルという職業は、こういう時のためにあるんじゃないかと思ったりもする。
不安な中の光。あなたが笑っていること。だからなんとかなると思えること。貴方がいることを嬉しいと思えること。

不安に立ち向かうためのもとになる、わたしの中の光。

今までもこれからもありがとう。
一緒に年をとる喜びを、きっとこれからも。

HappyBirthday!