Life is Beautiful

1月生まれの少年は、ハワイの海の上で、その選択を選ばざるを得なかったことに後悔はなかったか。
見ている側である我(々)は、なによりそれを恐れていた。

高校を卒業するまでの部活代わりだったはずだ。そう言い切ってしまうにはその比重が異常に高かったけれど、当時そんなものありえなかった『試験だから休む』という概念をジャニーズJr.に持ち込んだのはこの人だ。
これは、わりと賛否両論あった。否、の方が多かったかもしれない。
しかし、翔くん、という人が当時通っていた学校はみーーーんなが知っていたわけで、だからまぁ、そりゃ、そうですよねっていう話でもあった。

大学にすすむ時はもうデビューしてたから、余計、否、が多かった。
でも、結局これも、まぁ、そりゃ、そうですよねっていう話であって。

だから、というか。
余計、我(々)は。
このひと、ここにいていいのかな、って。
嵐、とか。
それに、なっちゃって、いいのかな、とか。
高校、卒業しちゃったのに、まだ、ここにいていいのかな、とか。

大学に行くときに、あんなに(勝手に見ている側だけで)紛糾したのはたぶん、恐れていたからだ、とおもう。
おそれていたのは。
翔くんが、選ばざるを得なかった嵐、という形そのものを、後悔してるんじゃないか、って。

恐れていたからこその、デビューしたのに大学なんて!っていう反応だっただろうし、恐れていたからこそ、今まで一緒にがんばってきたすべてのジャニーズJr.にありがとう、っていう言葉に縋って、救われていたようなところがたぶんあった。

翔くんが、後悔してるんじゃないか、って。そんなことをなぜ我(々)がおもっていたかといえば、それは、翔くんというひとは、「将来」というものについて、たぶん、世間一般でいう「ふつう」よりも、ずっとずっとたくさんの選択肢を望むことができたからだ。
ずっとずっとたくさんの選択肢を持っていたし、それを選び取るだけの素材があった。
ただなんとなく漠然と、金融よりは商社っぽいし、官僚よりは民間っぽいね、と、翔くんがその「将来」に選び取るであろう就職先というものを想像していたような気がする。

だから、おそれていた。
嵐というその形を選ばざるを得なかった、その時のことを、後悔してるんじゃないかって。

こんな、めでたい日の終わりに。
なんでそんな、辛気臭い話をしているかというと。

そう、おもっていたことを、思い出す言葉が、翔くんの口から出てきたからだ。

LOVE

そう、銘打たれたコンサートの最後の挨拶で、翔くんは、15周年になりますね、というようなことを口にして。
この先、ずっと応援してください、と、そういうようなことを言おうとして。

「これから20年30年40年…40年つったら70歳くらいか」

そう言って、少し考えて。

「…悪くないね」

と、言った。

悪くない、のは、翔くんの人生のことであり、翔くんが選ばざるを得なかったあの時を、悪くない、と、思えているんだ、と。
そう思えたら、びっくりするほどうれしくて、うれしいっていうのも失礼な話で、でもうれしい、という感情がそこにはあって。

悪くない。
過去も、今も、この先も。
悪くない、と、今は思える。

べつに、今の自分を肯定できないことや、自分に限らず現在の状況を肯定できないことを、悪いことだとは思わない。
人生こんなはずじゃなかった、これじゃなかった、こんなの嫌い、ぜんぜん、それでいいとおもう。

ただ。我(々)の稼業は、ファン、というものなので。
少なからず、その対象に対し、負担をかけているのであろう、という自覚は少なからずあるわけで。
我(々)が期待というものをすることが、果たして本当にその対象にとってよいことなのだろうか、とか。
ほんとはいやなんじゃないか、とか。ほんとはこんなとこさっさと逃げ出したいんじゃないか、とか。
その対象がジャニーズJr.という殊更に不安定なものだったら特に。
決して、直接的に何かしら関わっているわけでもなんでもないのに、この、デビューさせてしまった、というような、なんともいいようのない罪悪感はなんだろう、と。
デビューっていうそれは、確かに、猛烈に、良いこと、のはずなのに。

「あっ、この話しようと思ったんだ。今日(オリコンの表彰式を)ホテルでやったのね。今日、大安だったのよ。だからあのー、ぼくたち、末永く幸せになります」

挨拶の続きで、翔くんは、そんなふうに言った。
大安、が気になったのか、と思って。そういうことにも縋りたいのかもしれない、とか、思って。
こっちが思う、過去と今と未来への不安よりも、当事者の不安の方が、ずっと、莫大なんだ。それはもう、その莫大さは想像もつかないほどに。そんなの、あたりまえの話だけど。

その挨拶からちょっとして。
LOVE、と銘打たれたツアーの最後の挨拶で。
翔くんは、突然、「昨日、夜、1年半ぶりに5人だけで飲みました」と、切り出した。
ひゅー、とか、きゃー、とか、なかよしー、とかじゃなくて。
…なにがあった!?という感じの、決意表明みたいな、切り出し方。

「昨日も、1年半前も、私が声をかけました」
2時間ちょっと、話したことは、今までのことと、これからのこと。
嵐が好きだ、ということを、5人それぞれに持っている。
きみたちにその好きの気持ちは、負ける気がしない。

そんなふうに。ほんとに、決意表明みたいに。

その、ちょっと前に、話題になった雑誌のインタビューで。デビューしてこんなに長くなったグループの売りが、仲良しっていうのはちょっとどうかと思ってる、みたいな話を翔くんが語っているのが活字になってて。
なんかね、この挨拶の時に、翔くんが言ったことを受けて、ニノが、自分はこの先、仲良くできるならそれでいい、って伝えた、って言ったのね。
なんだろうね、なんか、そういういろんなことがあまり矛盾せずに共存していく、そういう嵐を、押したり引いたりしながら、15年かけて転がしてきたんだな、と思ってね。

この先、20年30年40年。40年たったら70歳くらい。
それを、「悪くない」と思える。

あとねー。
『明日に向かって』って、あるじゃん。あの歌詞ですよ。

ぼくらそれぞれの道をゆくけど
必ずどこかでつながってるんだ
だから時々は話し合おうよ
負けそうな時は思い出して
It's all right

初めて歌詞見た時からずっと不思議なの。
『だから時々』どうするかって、「笑い合おう」とか「騒ごうぜ」とか「遊ぼうぜ」とかじゃなくて、話し合おう、なの。
明日に向かってすることは、話し合おう。
そうすることで、明日に立ち向かっていくわけで、負けそうな時に思い出すものも、たぶんその話合ってた人のことであるのかもしれない、とかね。

「悪くない」
そう思える1月生まれの少年の未来を、これからも見ることができればこれ幸い。

おたんじょうび、おめでとう!