引き際、退き際って言うから。

何かあったのかなぁとも思うし、何にもないんだろうなぁとも思うのね。

「年だね!」っていう、そのひとことかもしれないし。

今年の、Theyちゃんのやったクリエでさ。江田ちゃんが滝沢歌舞伎でさ、最後の、雨降らせて殺陣やってるとこ、自分は出てないんだけど袖でずっと見てて、見ながら泣いちゃうって話の時にさ。バルコニー席で見てたふっかが、おっきい声で「としだね!」って言って、みんな笑ってさ。

みんな笑ってるんだけど、当の江田ちゃんは、そうかも、みたいな顔してて。

その、そうかも、みたいなリアクションの江田ちゃんを見ながら、たしかに、感情のたいていの部分は、「としだね!」と、「わかいね!(青いね!)」で、終わっちゃうのかもしれないなぁって思って。

で、それからずいぶんたってから、「引き際」って、「としだね!」と同義語なのかなぁ、と、ぼんやり思ったり思わなかったりしたのね。

ニノがやってきた頃のJr.の世界はもう、17歳つったらもう全然大人で、「引き際」が完全に視野に入っちゃうくらいの時でさ。
あんまり小さい時からやってるって子はそれはそれで特殊で、だから、中2くらいで入って、高2で辞める、みたいな。まぁ、せいぜい20歳くらいが限界だよね、って。
実際そういうルートをたどる子は少なかった気がするけどまぁ、イメージとして、そんな感じ。
今みたいに20歳超えてもJr.でぜんぜんよゆー、むしろそういう子たちがいないと舞台成り立たない、ちょっと今辞められると困りますみたいな世界は想像できなかった。

ニノがJr.だった頃、引き際、は確実に、しかも早い時期に存在していて、だからみんなどっちかっていうとその引き際に向かって走っているようなところはあった。たしかに、デビューをめざしていても、それでも走っている先に見えているのは、まぎれもなく引き際ってやつで、だからデビューしちゃうかもしれないって不穏な(不穏、だ)空気が自分のまわりに流れた時に、引き際を失うことの恐怖の方が先に来たんじゃないかと今なら思う。

好むと好まざるとにかかわらず引き際は17歳くらいにあって、同時にアイドルというものに賞味期限もあった時代に、あの事務所に所属する人たちはそれを自力でちょっとずつちょっとずつ伸ばしていって、年を重ねる楽しみ、に昇華させていった。ある意味、デビュー「してしまい」、解散という引き際のタイミングも失った人たちが否応なしに作らざるをえなかった道、なのかもしれない。

それを見ているわたしたちは、メンバーチェンジで引き際をつくることを好まず、その分、ともに年を重ねていくことを選んだ。

私がオバサンになっても、あなたがオジサンになっても、それでも、生きていくことはできるはずだ。
たぶん、わたしたちはそういう道を選んだ。
確実に進んでしまう時間に合わせ、好むと好まざるにかかわらず。否応なしに。

そこへ。

青春、が、降ってきた。

青春の名前は、総称して、ピカンチ

そこを、夏のTDCをつぶしてやるって言うから。

それは青春であると同時に、引き際、という言葉を考えなければならないような。

まぁ、でも、儲からないステージは出来ないって言うんなら、だから映像やるんだって言うんなら、それは、確かに、そこで嵐で何かしらをかけるならピカンチも出てくるのかも、っていう。

ピカンチなー。

ポニキャンを放り出されたからか(放り出されたように見えたの…)、ジュリーの城をつくるためか、嵐のためのレコード会社つくります!ってぶち上げられても、まったく晴れがましくもなんともなかったあの頃…。
むしろ、数字的に足を引っ張るからジャニーズエンターテイメントには入れてもらえないんだわって泣いちゃう感じだったあの頃…。

楽曲のピカ☆ンチには、嵐に今までなかった強さがある!と浮かれても、フジテレビ冠番組の視聴率は底辺を割るような数字を叩き出し、ピカ☆☆ンチの時は、各自のソロパートがシングルで入り曲もすーごくよくって、売れちゃう!これ売れちゃう!って思ったら、シングル初動で10万枚を割ったっていう…。

むしろ数字的には厳しく悲しい思い出が勢ぞろいするピカンチ…。

でも、ピカンチ、っていう言葉がね。

ピカンチっていう言葉に詰め込まれているあの頃の全部、青春、的な物語でね。

単館(といってもグローブ座だが)上映!っていう響きに引っ張られた、サブカルとしか言いようのない全体コンセプトに貫かれた「ピカンチ」の全部。

Jr.ん時の勢いを考えるとなぁ、もうちょっと売れるはずだったんだけどなぁ、売れねーなぁ、ブレイクしねーなぁっていう焦燥感と、ピカンチの持つ空気としか言いようのないものが、妙に合致していたあの頃。

売れたい売れたいってうるさい潤くんに、何と返事すればいいのかわからないって、岡田くんに相談してたっていうニノのあの頃。
向かないんじゃないか、裏方のが向いてるんじゃないかって思ってたっていう、好むと好まざるとにかかわらず、引き際として自分で線を引くつもりだったのに、デビュー「してしまった」ニノのあの頃。

これだ!っていう仕事はたくさんしてたのに、それは世間には取り上げられなくて、オーディションでとってきた硫黄島の仕事の波と、別の企画がボツになって急遽潤くんにまわってきた花より男子の波が同時にきて、突然世間が注目してきた頃。

硫黄島でベルリンの映画祭に行って、オフィシャルな記者会見で、わたしは俳優ではございません、と言い切った頃。
日本では歌って踊って、5人のグループで活動しています、って、ベルリンまで行って、わざわざそう発言したきみ。

どんだけ売れなかろうと、ブレイクしなかろうと、わたしたちは5人が大好きで、ゆるゆるした流れに見せながらその実、5人を必死でつくってきたきみたちが大好きで、そこから一歩も引かない、アイドルってばかにされながら仕事してんのおもしろいって言い切れる、俳優ではございませんって言い切れるきみに何度も何度も救われていた。

今までのこと。
嵐になってからでももう15年もたってしまった、今までの流れのこと。
突然なにかがあったわけじゃない。
ただ、ずっとつくってきた道があるだけで。

たぶんね。その道の途中で、引き際なんか、とっくにすぎてるんだと思う。
自分で線を引くつもりだったのに、デビューしてしまったあの瞬間から。
引き際なんか、みつけらんなかったんだと思う。

それは道だから。

ニノがつくってきた、道だからさ。
そこに引き際なんてみつからないんだよ。
道は途切れないから。たぶん。この先も。

てくてく歩いて、壁ができたらうんしょと越える…っていうか、ニノは自分で、壁にはぶつからないでくぐるって言ってたからたぶんそれはくぐって、ついでに、潤くんは壁にまともにぶつかるタイプだって言ってたからそれは助けてあげて、それでまぁ、すすんでくしかなくて。
引き際、退き際ーって言いながら、でもすすんでくしかなくて、さ。

まぁ、でも。戻れない道はない、から。
だから、今またピカンチが空から降ってきたんだと思うし。

今日もすすもう。
たぶんそれしかない。
「わたしたち」は、それを選んだ。たぶん。
わたしがオバサンになることと、きみがオジサンになることを認める代わりに。

途切れない道の、通過点の今日。
わたしがオバサンになっても、きみがオジサンになっても。
ちゃんと年取るきみが好きだよ。

おたんじょうびおめでとう、ニノ!