砂上の楼閣、箱庭の部活

「なんかちがう」と思った。それをむりやり飲み込んだ。

そのことを、思い出した。

嵐結成当時のわたくしごと、として書けば、なんとか飲み込んで、なんとか納得したいから、自分のためにサイトをつくったようなものだと思う。ものごとには原因がある。嵐は良いはずだという理由をひとつひとつ綿々と書き連ね、点と点を線にして面にして、なんとか自分で納得したい。

不安には知識を積むことで対峙していきたいタイプです(聞かれてない)。

V6ができた時、わかってはいた、はず、なわけですよ。

Jr.は、全員デビューできない。

どれだけ人気が高かったところで、それはそれ、これはこれ。

デビューのためのグループを組むのは事務所内でも「ある意味企業秘密」であって、その心は「社長が勝手に決めてしまうから(関係者も知り得ない)」。

だからまぁ、なんかヤバイ流れになってる、っていう段階で、翔ちゃんとニノは社長に直接断りに行こうと思うわけだし、智くんは京都から、辞めたいっすって電話を社長にかけるわけっすよね。当時ね、当時のシステムとして。

V6の時、はっきり、選出段階でこぼれた、と思ったのは、個人的には原ちゃんと裕貴。原ちゃんは名前まで入ってたのになぁ。まぁでももっと遡れば、個人的には長瀬はいのっちと一緒にさせたかった。

……っていう、「え、それ!?マジっすか!?」「こうじゃないの!?」みたいな。そういうのがどうしても、W杯関連の、そのための寄せ集め型デビューっていうシステムの中には横たわってしまうわけで。Jr.担の数だけ、「これがいいっしょ!」が存在する。

嵐の時は。
もうほんとに、Jr.の黄金期というものをしぬほど謳歌している最中で。
Jr.であることで、何のマイナス面もないというか。レギュラーとして歌番組もバラエティー番組もラジオ番組(しかもJr.自身がJr.自身として何かを主体的にする番組であるよ)も持ってるし、Jr.名義でコンサート定期的にできるし、KinkiにV6にと人数足りないくらいバック大活躍だし、あたりまえだけど雑誌も載るし表紙だってできるし、え、何が不満?そりゃCDはないけど、映像化はされますし?

部活をビジネスにすることに成功したのがJr.の黄金期だったんだと、今振り返ればそう思う。斗真の言うとおり、それは確かに部活。体力的にキツイけど、楽しい、部活。

Jr.名鑑に、遊び疲れて廊下で並んで寝ちゃった松潤と斗真の写真がある。矢面にはずっとずっと滝沢が立っていた。滝沢が立っていることで、Jr.の黄金期というものは本当に、ウソみたいな楽園と化していたとおもう。序列は確かにあった、そこは売り出されてるJr.と売り出されてはいないJr.がいるという、序列は確かに存在したけれど、それでも、かたまりとしてジャニーズJr.は皆がいっしょくたになっていると信じられるくらいの楽園感があった。

そのなかで翔くんは、特別扱いされたくない、という、そういう意向を持っていた。翔くんは下からKOに行っててお家もすごくて小さくてかわいくてマイク持たされると滝沢と翼に並んで配置されるような逸材で、でも特別扱いされたくないと思っている、と、当時Jr.が好きだったわたしたちはどうしてだかみんな知っていた。今ほどネットも日常に馴染んではいなかったけれど、でもみんな知っていた。

だから、翔くんはいつか部活を辞めていく。

いつか部活を辞めてはいくけど、この部活自体は続いていくのだ。そんな、感覚。

デビューよりも部活の方が大事だった。なんの不満もなかったし。デビューしたらバックできない。最高のバックダンスが見られない。それは巨大な不満だった。バックダンスができなくなることを不満だと思えるくらい、バックじゃない仕事がたくさんあったって話なんだけどさ。

この、楽園と化した部活のなかから、誰かが選ばれてデビューしてしまう。それはよくわかってたつもりだった。その時には、なにかしらのわだかまりが残る。そこも、わかってたつもりだった。

「わかってたつもり」だったのは、そこで実際部活やってた人たちもそうだったのかもしれないな、と、おもう。でもそういうなかでは、特別扱いされたくない、という意識をしぬほど持ってた翔くんは、わかってるほう、だったから余計、デビューまでの流れを断ち切れないとわかった時に、いろんな方面に対して、ひたすらあやまりたいような気持ちがあったのかもしれないなとおもう。

すべてのジャニーズジュニアだった貴方へ

嵐の最初の、横アリのコンサートの後で書いたやつ。

この言葉があればこのさき生きていけるなーって思った(真顔)

この翔くんの挨拶を、横アリのバックステージでモニターから聞いていた斗真は、みんなデビューできてよかったね、って、着替えながら号泣していた、と、後日風間が言っていた。

なぜか自分が選ばれてしまった、その、うしろめたさ、のようなものを、たぶん人一倍翔くんは抱えていて、それが消えることはこのさきもないのかもしれない。

15周年、その枠のなかで強調される、もっとデビューしたい奴はいた、俺よりも。そんな、消えない気持ち。

今日から嵐なんで、って、言われた。「なんかちがう」って、思った。見てる方も。部活の内側にいたひとも、外側にいたひとも、「なんかちがう」って、思った。これでいい、と、思っても、でも、なんでよ、って部分は絶対残った。それを背負ってやってかないといけない。それを背負って、でもこれでよかったんだ、って、時間をかけてよかったんだって結果にしていかなければ、この背負った重荷はなんだったのか。

これでよかったんだ、と、おもいたい。部活のなかにいた人も、外側から見ていたわたしたち、も。これでよかったと、おもいたい。

大昔、コンサートで、描いていた夢(野球選手になりたいとか)と、今現在は違うかというような、確かクイズコーナーの時にそういう話になって。その時、翔くんが、潤くんにむかって「(潤くんが描いていた夢と今の形は)相違ないとおもうよ」って言ったことがあった。相違ない。あの頃松潤が描いていた夢の形と、今の形に、相違はないと思うよ。翔くんはそういって、潤くんは、そうかなぁ、って、言ってたけど、自分は客席で200回くらい頷いていた。

もしかしたら、というか、確実に、翔くんがぼんやりとでも描いていた将来像と、嵐になってしまったこととの間には、相違が存在していたはずだけど、でも、その相違をうめていこうとしたこと、重荷を背負ったままなんとか相違をなくしていこうとしてきたこと、それを繰り返して15年やってきたこと、が、尊いってことなのではないかしら、と。

翔くんは、今を砂上の楼閣のようなものだと表現する。砂はこぼれてしまう。こぼれてしまわないように、今を続けたい。そんなふうに。

こぼれることを、こわがらないでほしいと思っている。

こぼれたら、それはひたすら拾うから。

あの時の挨拶に、今でもしぬほど感謝してるから、あの時の挨拶の分、砂は全部拾うから。

だいじょうぶだよ。

おたんじょうび、おめでとう!