前夜 -さよなら、愛しのTheyクリエ

思い出を抱きしめながら僕たちは歩いていく、と歌われて、クルトンをやったという事実が存在した時、この思い出を持っていてもいいよと言われたような気がした。

1年で、この3日だけしか仕事がなくてもいいって本気で思ってた。

そのくらいTheyクリエって私にとっては大事なもので、全部のおたく生活の軸になるもので、この3日のために1年おたくやってるくらいの勢いだった。

そういう「私が」(主語「私が」)、宇宙になるって決めたのは、札幌で、りょうちゃんが手をあげなかった時だ。

札幌の嵐コンで宇宙Sixって紹介されてMC出てきて、うちゅうーイエロー!でひと滑りして。

They武道だったんだよね、と言われて、しょーちゃんと江田ちゃんがしゅぱっ!と挙手したのを確認してから、りょうちゃんは手をあげなかった。

しゅぱっ、と手をあげるところはしょーちゃんと江田ちゃんが担ってくれるから、だからりょうちゃんは手をあげないという選択をすることができる。

その意図は、They武道が増員したという形にはしたくない、ということだろうと受け取った。私は。

こたが1人になった時、若干緊張したところがあった。

それは本人たちがではなく、見てるこっち側が。

こたはどこかに入るべきなのではないか、元々MADだったどこかへ。いやそれはそういうものでもないのではないか。そういうものととらえるには、They武道にも、ほかのユニットにも、歴史ができてしまいすぎている。入ってきました、という形では、誰も幸せにならない。かといって、ちょっと前ならいざしらず、今現在のJr.界の状況は、とりあえずどこかのユニットに所属していることが最優先みたいな流れになっている。いつのまにか。

そんなところに、宇宙Sixが降ってきた。

形としては増員なのかもしれないけど、そういうことじゃないんだ、と思った。

江田ちゃんとしょーちゃんが手をあげてくれて、それを見て、手をあげない選択をしたりょうちゃんを見た時に、新しいグループなのだと、そういう形にしていくんだと、そういう決意と受け取った。

だから、その瞬間にTheyクリエのことにはフタをした。フタをして、厳重に鍵をかけて、しまっておいて、そして忘れようと思った。思い出すのは、もう、誰もいなくなって、私もおたくじゃなくなるような、そんな未来の話だと思っていた。

たぶん、合同だったから、だとおもう。

合同だったから、クルトンの話が出てきたんだと、おもう。

宇宙だけだったら、クルトンの話は出てこなかったと、おもう。

そういう意味で、合同という形に感謝している。

クルトンをやっても、宇宙Sixであることは揺らがないと、そう判断したということだとおもう。

あの時、手をあげなかったりょうちゃんが、そう判断したということだとおもう。

クルトン、持っててもいいんだ。

クルトン持ってても、思い出を抱きしめていても、前には歩いていけるんだ。

2015年、単独2年目のTheyクリエの、クルトン

命かけてたから。冗談じゃなく、あの人たちはクリエに命かけてたから。

震えてむかえた1年目、入口を通ったらお手紙をもらったこと。

へたくそな字で、せいいっぱいの今を伝えてくれたこと。

SNSでMADEが出るということが芸能レポーターの人の公式アカウントで流されてしまい、それは本当に単独になるのかと震えていた客席に、どういう経緯でMADEが出ることになったか丁寧に説明してくれたこと。

最高に最高だった初の単独クリエ。

初日のアンコールが終わって、客電がついて客席のドアが開いた後で、いやこれすごかったよね?みたいにもう一回客席から拍手がおこって、幕がもう一度開いたら放心状態の3人が立っていたこと。

1年目を越えなきゃいけない、って、やっぱり命かけてた2年目。

飛行機に乗る、ボーディングパスを入口でもらったこと。

3人でグループになるんだ、っていう、強い決意で挑んでいたこの頃。

その時にもらった、クルトン。宝物みたいな曲だった、クルトン

わたしたち、は、なんでこんなにクルトンが好きなんだろうね。

なんでこんなに、クルトンにはThey武道の何もかもがつまっているんだろう。

そんな、クルトンを。

今、やってもいいんだ。

これをやっても、大丈夫なんだ。

大丈夫だって判断できるくらい、今、ちゃんと宇宙Sixになってるんだ、って。

そう思えたことが、うれしかった。

思い出として、持っててもいい。

フタをしなくても鍵をかけなくてもいい。

思い出を抱きしめているけど、でも、いつでも今が一番好きだし、歩き出しているその先の今が一番好きだよ。

さよなら、愛しのTheyクリエ。

宇宙のクリエでは、何が見えるんだろう。単純に、期待ばっかりがつまってる。

思い出を抱きしめながら、僕は今、歩いていくよ。

ー前夜。

2016夏TDCの下書き供養

ふまソロの北斗がすごい好きだったって話と8月25日。…っていうタイトルのなぐり書きが下書きに残っていた。日付は2016年8月の終わり。

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原ちゃんと、めぐさんと、つぐさんと、寺さん、という4人とは、2015年の春のTheyクリエで本格的に知り合った(知り合ってないけど)。

4人まとめて、ぱきぱき踊れて普通にしゃべれてちゃんとおもしろくてそれなりにかしこくてそれなりにばかだった。

すごくいいなーと思ってて、MCで(特につぐさんが)「亮太くんは○○ですよね」とか、「こいつ○○なんですよー」とか、こっちの聞きたいこと知りたいこと興味のありそうなこと、を、ちゃんと口に出してくれるのが、めっちゃありがたいなーと思ってた。

4人の現場が久しぶりにあるんです、と、夏になる前の雑誌の対談で言っていた。

どこだ!?ってなって、フタをあけたらどうやらそれはふまソロで、でもそこに寺西はいなかった。

怪我だ、と、噂が流れていた。

ソロコンの最終日、ふうまくんは、「ほんとはもう1人いて」というようなことを言った。

「タイミングが合わなかっただけで」そんなふうに言った。

タイミングが合わなかったのが、寺西で、そうして。

2週間前、だと、ふうまくんが雑誌の取材で言っていた。

2週間前に、タイミングが合わなくなって1人空いてしまったそこに。

北斗に、出てほしい、と、自分からお願いした、と言っていた。

TDCでJUMPサマリーに出てた頃、北斗は静岡から通ってたから、よく家に泊まりに来てた。

そんなことを風磨がほろっと口にした時、北斗が突然前のめり気味になって

「そう!朝起きねぇんだこいつ!!」

と、すごく大きな声でしゃべりだしたことがあった。

「風磨朝全然起きねぇんだ、そんでやっと起きてあと10分しかねーのに、俺風呂入らないと無理とか言って風呂入るんだコイツ!」

「そう、そんで風呂場から、北斗先行ってていいから!って叫んで」

「先行くったって俺田舎もんだし、道わかんねーし。そんで3回くらい遅刻した」

「いやっ、」

3回遅刻は言い過ぎだろ!…とか、続くのかと思ったら、風磨はマイクを握ったまま北斗の方に体ごと顔を向けて、

「……5回くらいだろ」

と、言ったのだ。

そこにはすごく強い思い出のようなものが見えて、あぁ、そこには確かに一時代があったのだ、というような、全然知らない外野の私のところにまで届くような、そんなふうに強いもの。

風磨はよく「どう?」とか「どうだった?」とか、聞く。

だいたい、原ちゃんが、イメージ変わった、とか、言う。

最終日、北斗がやっぱり前のめり気味で、

「見直した!」

って、言い出した。

見直した!ってMCで言ってくれて、そうして、最後の最後に

「元メンバーとして、風磨のこと、誇りに思います!」

って、北斗が泣きながら絶叫した。

その声を背に受けて、ふうまくんは、今の夢を、「Sexy Zoneになりたいです」と、言ったのだ。

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下書きはここで終わっていた。

しっかりして当時のわたし!8月25日ってタイトルに入ってるよ!そこまでたどりついてない!

ので。

下書き供養のついでに、いまさらちょっと続きを書くと。

この時、この、ふまソロのオーラスの時、原めぐのことを「嫉妬します」って言ったふうまくんのその「嫉妬」っていう表現を、どうとらえたらいいのかわからなくて、いやわかってるんだけどでも、それでやいのやいの言われるの一番いやがるくせになんでそんなこと言い出したんだろうって思ってて。

そしたら8月25日に、Pに連れられてきましたっていう雰囲気を出しながら2バルに座ってて。

でも、その、なかじまソロに現れたっていう、それでおとなしく2バルに座ったっていう、それこそが「嫉妬します」の意味だったのか、みたいに思って。

再構築しようとしているんだろうし、そのくらいの、言葉に出して行動に出して、それをやいのやいの言われてもいいんだっていうそのくらいのきもちじゃないともうどうしようもないくらいこじれちゃってたのかもしれない、とか、思って。

その、「嫉妬します」と対になるのは、さんざん挙動不審になった後でようやく立ち直ってマイク握り直して2バルを見上げながら、「今日見に来てくれた山下くんと、風磨」って。「風磨」って、ものっっすごく意識して、「風磨」って呼んだんすよ、中島ァがね。この時、この瞬間だけ、そう呼んだ。それが、対になる言葉だったんじゃないかって思ってて。答え、というか。

このひとたちはもういちど、自分たちで自分たちを構築しなおそうとしているんだ、もういっかいやってみようって言いに来た人に、そうしてみようって返してるんだなぁ…、って。

この逡巡と覚醒と覚悟と決断と呼応の夏が、次の春につながった手触りみたいなものを、真空パックにつめて残しておきたいなぁって、思ったりしました、です。