思い出というものは

ちょーいまさらですが、SMAPのFANFUNパーチーに行ってきたのです。
むかーしからの友達と行きまして、思い出話三昧です。横アリの真サイドのアリーナ席だった時にほんっとに森しか来なかったことがあって、前の席のお姉さんが最後の方には森が来た時に後ろ向いちゃってたよね、とか、そういう超細かいくだらないことを思い出したりしてました。

その友達は仲間内で一番最初に携帯電話を買ったのですが、その理由は、SMAPのコンサートの時間を勘違いしてて、1時間遅刻してきたことがあったからなのです。それも横アリでした。来るはずなのに全然来なくて、当時携帯電話など一般的じゃなかったから、横アリのアリーナロビーの公衆電話から、その子の実家に電話をして、お母さまが「もう出てはいるんですけど…」とか言ってて。その子は横浜駅近くで余裕でお茶していたという(笑)
そんなことの直後に携帯電話買ったんだよねー、って。
(ちなみに私は、就職活動するのに、インターネットと携帯電話は一般的ではなかった世代です。)

パーチー、1曲目がSHAKEでした。

SHAKEは、私の記憶が正しければ、その年の初夏に森が辞めて、その冬に発売になった曲です。クリスマスが近かったのかな。森が辞めちゃうなんて、そんなとんでもねー出来事があって、全然良い年なんかじゃなかったはずなのに、ちょベリベリ最高!って笑い飛ばすような曲。Mステで最初にやった時、歌詞は「shu-shu-」って英語っぽい表記だったのに、CDになったら「シューシュー」になってて、英語っぽい表記のがよかったのにーって、どうでもいいことが気になってた冬。

SHAKEの後は、がんばりましょう。

フォーメーション組んだ瞬間に、次はがんばりましょうだね、ってわかる感じ。阪神・淡路大震災直後のMステで、これ歌ってたなあ。

ダイナマイト、今カラオケでよく聞く。SMAPの曲を普通にカラオケで聞いたり、コンサートグッズのバッグを普通に街中で持っているのを見かけたり、どんどん変わる環境にただただびっくりしてたりも、した。

嵐は昔、SMAPも売れるまで結構かかったんだよ、みたいな話をよくされて、そのたびに、「いやいやSMAPは5年目にはもう売れてたもん…嵐もう5年たっちゃったもん…」とか思ってたなあ、とか。

噂の5カ所出口でお見送り、つー子さんが説明で「もうみなさんインターネットで知ってると思うけど」と言った時、なんか、つー子さんの口から「インターネット」って!とか、へんなところで感心したり。

そのお見送りは中居でした。コンサートとかじゃなく、近くで見るのはどのくらいぶりだろう?桜っ子クラブの西武園のスケート大会以来?(それいつ?)10時間待った心の鏡の握手会の時以来?(それもいつ?)

年を取ったとはいえ、なんか、相変わらず小さくて細くて顔ちっさくてスタイルよくて、手の振り方や雰囲気が、今にも「なか~いちゃんだよっ」とか言い出しそうで、そう可愛く言いながらもケッとか思ってそうな空気感もきちんとあって、あぁ、実はなんにも変わってないのかもしれないなあ、と、思ったりもしたのです。

私が大野智を初めて個体で認識した時、彼は京都に行く直前でした。
「京都には、『行けば?』って言われてる」とかいう、緊張感のまったくない(笑)コメントを雑誌で読んで、ってことは智は行くんじゃねーか?、みたいな話をみんなでしたりしたのですよ。
それで実際京都に智は行って、その踊る様子を見た時に、「私がジャニーズで見たかったものってこれだ…!!」って、ものすごく思ったんだよ、一時は関西方面での就職を真剣に考えたくらいには!(これが実話なところがこわい。大野智こわい…)。

よく踊っていました、ほんとに。これ見られるなら、デビューなんかしなくていいや、と本気で思えるくらいには。
KYOTOKYOが終わった後の一時期、こいつ京都から帰ってこねーんじゃねーの、みたいな空気満載だったから、その年明けの日生劇場の舞台で光一の後ろで踊ってるの見た時はひっくり返りました。しかも、ありえないほどぷっくぷくになっていて、一緒に見ていた友達が、それが大野智だと認識できない始末だという(実話なところがこわい。大野智こわい…)。

だからMA結成になった時はうれしくて、踊るじゃーん!踊る仕事あるじゃーん!てうれしくて、嵐になってまたひっくり返って、でででででも智がいるなら踊るよ、嵐は踊るグループになるんだよ、と自分をなぐさめて、それからは文字通り嵐のように。

ふと思うことは。

辞めるチャンスはたくさんあったのに。よく、辞めなかったなぁ、と。
当時の智の性格上からいっても、いつもいつも辞めそうだったのに。
デビュー直後、「スケジュールを教えたら逃げそうだから」という理由で、ニノがスケジュールを教えなかったこともあったというのに。
辞めるには惜しすぎる才能だったといっても。

もう、10年もたっちゃったんだ。
当時の私に、「智、辞めないよ。トップアイドルみたいになってるよ」と言ったら、嵐発表の前日にネットに流れた「新グループに大野智が入ってる」という噂を一笑に付した時のように、鼻で笑って終わりな気がする。辞めないのはともかく、智がアイドルってなんだ?と。

思い出、は、やっぱり京都の頃。見放されててほったらかしで、がちゃがちゃでめちゃくちゃだったあの頃。ひでー噂ばっかりだった、超冷たくてカッコイイあまり笑わない大野智

でも、大事な時に優しい、って。そんなふうに言われてた。

きっと、今でもそうなのかも。ひでー噂ばっかりで、超冷たくてカッコイイあまり笑わない。

でも、大事な時に優しい。

大野智のすげーところは、その、京都の頃から見てる人たちも、まだまだたくさん、大野智が好きなんだろうなっていうところ。嵐になってデビューして売れちゃって環境が変わってそう簡単に踊るばっかりの仕事じゃなくなって、でもみんな大野智の才能を信じてる。それも、確信的に。

それは私もそうだな。
もし、この先、ジャニーズで「私これ見たかったの!!」っていうものを見せてくれるとしたら、それは智なんだと思ってる。不思議なもので。それがどんな先の話であっても。

思い出というものは美しくなっちゃうものだけど、思い出というより、確信とか信用とかそういうものなのかもしれない。
今までの智に対する、あまり根拠がない、でも絶対的な、信頼。

できれば、辞めないでね。これからも。毎日眠くても(笑)

おたんじょうび、おめでとう。