なつかしの(というか恥ずかしの)発掘・古いメモシリーズいきまーす。
KYO TO KYOについては日付も書いているんだけど、その他については妙に曖昧だった自分メモ。主に大野と町田で埋め尽くされ、そうでなければ一男か大坂俊ちゃんについて語っている自分メモ。公演中はメモらず(そんな器用なことはできない…)、終わってからおぼえてることだけメモってるので、いまいちよくわからないこともたくさんある自分メモ。誰に見せるわけでもなく、記録用に綴ってた自分メモ…の中に、時々顔を出してた翔ちゃん部分の抜粋でございます。
97年夏?のカミセンコンメモ。
翼ってあんまり人とからんだりしないのだねー。翔くんの方がぜんぜん皆とフレンドリー。米花とか。でもそーすっとなるほど桜井班って人気かもってかんじ。
翔くんはおもちゃになってるよー、大坂がかまうんだもん、自主的に!
「桜井班」という言葉が流通していたかどうかは正直ちょっと覚えてない(笑)でも、なんとなくそのあたりを指す言葉として使っていた、ような。当時翔ちゃんはまだ豆時期、豆をちょびっと脱出した時期くらいで、とにかく姿形がかわいかったので「かまわれる」対象になっており、「大坂がかまう」って書いてるけど実際大坂さんの方が年下ですっていうね…。
バックでは、滝・つー・裕貴・大坂の4人でメインなんだけど、カミセンのラストJr.紹介では、大坂じゃなくて翔くんなのよねー。この時翔くん1人で大勢用のバックTシャツ着ててヘン。べつに大坂が大勢用Tシャツでもいいのに。
当時自分大坂好きだったのでこの言い方は許してください土下座…。翔ちゃんは、滝翼の間に入って歌って踊っちゃうくらいに押されているJr.であることには間違いなくて、でも学校というものがあってだね。今はもう、「学校」って、Jr.の中ではあたりまえの話なんだけど、当時は全然そうでもなくてね。Jr.に「学校」っていう概念を持ち込んで許されるのは、裕貴と翔ちゃんくらいだった…というか、「学校」という発想そのものを持っていたのが、裕貴と翔ちゃんくらいだった、というと当時の雰囲気に合ってるかなぁ…。
別に特別扱いとかそういうことじゃなくて、いやまぁ特別なんだけど(笑)、でももうずっとKOなんだってみ~~んな知ってたし、翔くんは学校でお休みします、というのは、それはもうあたりまえのJr.的年中行事的な扱いで、両方大事にしたいんだ!とかそんな肩肘張ったもんでもなくて、「そういうもの」だったとしか言いようがなく。
まぁそんな年中行事でたびたび消えるわけで、そっから戻ってくるたびに、微妙に翔ちゃんのJr.内ポジションが変化したりしてて、それで一体事務所的には桜井翔をどこにおいときたいねん!…というのは当時の私の中で結構なテーマではあったらしく、翔ちゃんのポジションについてのメモが結構残ってるんだよね…ちょっとこれは自分でびっくりっていう…。
当時のJr.事情としては、Jr.自体にすんごい人気と勢いがあって、見てるこっちとしては「踊ってほしい」「みんなと一緒にいてほしい」という気持ちが強くてね。だから、すっごいヘンな言い方なんだけど、「単品で押されなくていい」っていうのがね、すごい、あったのね。デビューしちゃったらつまんない、デビューしなくていい、とも、わりと本気で思ってた。CDこそなかったけど、Jr.でガンガンコンサートできたし、歌も歌えたし、バラエティーもあったし、ラジオもあったし、デビューしたらマイク持っちゃうじゃん!両手で踊らないなんて、そんなのつまんない!って、ほんとに、ほんっとにそう思ってたし、そういう共通理解事項みたいなムードがあったなー…。
97年夏?頃のV6コンメモ。
大坂!なんだ友達いるじゃん!アンコールは穴沢と2人でヘンな振り付けして遊んでるし、パナとも外周で飛び上がってるし、Wアンコールは翔くんに、一緒に外周まわろーよーって感じで寄ってって背中おして、結局ずーっと2人でしゃべりながら外周まわってるし。でもウケたのは、(三宅)健とすれ違った時、健が大坂をとばして翔くんに手を出したこと(笑)ちっちゃければいいのか!?
かまわれ絶好調な翔さん。とにかくみんなに好かれ、みんなにかまわれていた印象。
イノと岡田の傘の曲、裕貴と翔くんはあいかわらず仲良しで、裕貴なんか今日は翔くんをお姫様のように横抱きにしてた。となりが滝つーなので目立つ(笑)
滝つー絶好調に氷河期時代(笑)、となりではしゃぐ裕貴と翔さんの図。お姫様抱っこなんてできんの!?って話ですが、翔さんは小さかったんですよ…!
97年夏?頃のKinkiコン。
BBBがメドレーをするため、MCのJr.がそれいけトリオ+秋山。一男がバク転できるようになった話。ロンダードからのをできるようになって、みんなうれしすぎてやりすぎて、鎌田が腰を痛めた話(一男も痛がっていた)。
※それいけトリオは、Kinkiの番組「それ行けKinki大冒険」に出てたJr.のことで、翔ちゃんと、穴沢と、一男。1人一言ずつ最近の話をしゃべれってことで、一男→穴沢→翔ちゃん、と続いていた模様。
穴沢は、SMAPのドーム公演にナイナイ岡村がJr.としてつくっつー企画があってそれに出て、30分で8曲振り覚えした、ってゆー話。
今も続くナイナイ岡村さんのオファーシリーズの一番最初?かな?これは。放送前だったから、今だったらネタバレだなんだって話になりそうだけど、90年代はまだ鷹揚な時代だったんだな、ということをすごい今感じた…。
翔くんは「・・・言うこと言われちゃって」って困ってた(かわいい)。そうだ、一男のとこでパナが呼ばれて出て、すごい連続技やったんで、翔くんは光一に「バク転は?」って聞かれて、その答えが「練習したけどあきらめた」だって(かわいい)。翔くんかわいい…ほんとかわいい…。決して器用じゃないし、ダンスのカンが良いわけでもないし、努力の人だよなーと思うわー、かわいいー。
言うこと言われちゃって、と言っているけれど、オファーシリーズに翔ちゃんは出ていない(笑)。そしてなぜわたしは「努力の人」のすぐあとに「かわいい」とかつぶやいているのだろう…。しかも「決して器用じゃない」って失礼な!でもそうだよね!(え)、当時から、この子はなんでもできるわけじゃない、っていうのはわりとはっきりしてたんだよな…。
翼!本日ゴキゲン!ニノとかに笑いかけちゃうし、自主的に大坂に話しかけてるし、じゃれてるし、Jr.ダンス紹介のとこで待ってる時に翔くんと座ったままコソコソ振り付けして遊んでるし、今日はよく笑ってたなーめずらしく。翔くんはほんと人気者で、誰も彼もがかまっていく。大坂も裕貴も。
この、「コソコソ振り付け」はすごいおぼえてる。全員で円形にわらわらと集まって座ってて、その真ん中で紹介されたJr.が曲に合わせて踊るんだけど、その曲のタイミングに合わせて、翼と翔ちゃんが離れた位置でアイコンタクトしながら、座ったまま、ばっと脚を前後に広げたり、手だけでポーズ取ったりして、すんごい楽しそうだったの。
翔ちゃんはめっちゃ短気で、いつ怒りだすかわからないデンジャラスな人と評判だったけど、翔ちゃんのまわりにはいつも人がいっぱいいて、その人たちがみんな楽しそうで、絶対に翔ちゃんを1人にしておかないというか、みんなが「あっ翔くんだ!」っていって、走りよってくるような、そんな雰囲気がありました。
98年4月1日~4日、KYO TO KYO特別公演
4/1 19時~のメモ
メンバーは
原/博、オミ・かま・智、ヤス・まち、一男、松っさん、穴、翔、パナ、せー、やら、よっきゅん、ダサリア、石松、・・・そんなもん?
関ジャニは北・純・魚・まっきー、大堀、髙黒、他Bチーム、呉ぴょん、は確認、あと塩ちゃん相変わらずヘンなあたま…、あとわらわら小さい子。
これはあれです、あのー、後年翔ちゃんが語っていた、楽屋でペットボトル爆発させた時のやつです(笑)ずっと京都の楽屋に閉じ込められててストレスがたまって、ってやつの時の公演…。
MCで内海。仕切りは一男。ピン扱い。そーすっと翔くんは翼とじゃなくて、やっぱり穴翔でいくってことなのかなぁ…。
そしてやっぱり翔ちゃんのポジショニングを気にしている自分メモ…。
※内海、というのは、光GENJIの内海くんのこと。この時、東京では「8時だJ」、関西では「なんじゃに!?関ジャニ!」というレギュラー番組の放送がスタートする間際で、内海はなんじゃにの方のMCを担当するんで、この公演のMCに出てきていたのでございます。あと一応、松っさん、は、松本淳一くんという名のJr.で、当時「松さん(まっさん)」は彼のことを指し、松本潤くんについては「松潤(まつじゅん)」と呼ぶという、決して間違ってはいけない暗黙の了解事項が存在しておりました…。
※翔ちゃんに関係ないけど一番ツボったこの時の自分メモ↓
そーいや、恋はあせらずがなかったぞ?あ、LOVE togetherもなかった…世界は僕らを待っててくれないんだきっと…
4月2日 15時~
CandoCango、途中で急にやらっちハケる。そのままGraduationまで出てこない。(出てきた時の歓声がすごかった)。翔くんが何か話しかけてて、それにやらちゃんが答えてた。特に怪我っぽくもない?かな?
すごい2人ともかっこいい顔でしゃべってた、というのが妙に記憶にある。
ヤス、全然お疲れなのに、さよならの情熱とバク転だけは楽しそう。バク転は膝からべちゃっと着地した後、階段の上(バク転できない穴・翔・町は階段上にいる)の、翔くん(?)に、うれしそうに報告に行ってた。
バク転できないから階段の上にいるって、メモに細かい説明ついてるのってどうなの(笑)
4月3日 19時~
SMAPメドレーの時に穴翔が2人マイクなしで、ずーっと振り合わせてニッコニコしながら踊ってて、うっかり町田が入れなくて笑った
これは、たぶんさきほどの「階段上」、バク転できないチーム内の話だと思われる(笑)
翔くんは松さんとヒゲダンス当番(※MCで毎回ヒゲダンスのコーナーがあった。ちゃんとヒゲつけて、あの踊りしながら出てきて、マシュマロキャッチとかやっていた)。ギャグがヘンで皆引いてた(特に北・純)。松さんが、松「ひらけ!」客席「ポンキッキ!」って言わせようとしたのがうまくいかず、一男「(ひらけ)ゴマ、かと思った」、内海「(ひらけ)服、じゃねーの?」、翔「…それはアダルト系だから」、これすっごいおもしろかった。
翔ちゃんは小さくて超カワイイのに、短気でデンジャラスで言うことキツくて、得意な振付と苦手な振付の落差が激しくて、バク転できなくてみんなにかまわれててKOでポジショニングがはっきりしなくて、1週間に8日渋谷にいてでもテスト勉強とかちゃんとやってて、もう何がなんだかわかんないけどとりあえずなんかトクベツな男の子で、でも本人トクベツだと思われたくねーぜ、って思ってるっぽい感じも含めて超いいよね!…ってみんな思ってたんだよ!
翔くんはオデコに黒ビニールテープで「小」って形つくってつけてきて。ほんとは「翔」ってやりたかったんだっつー話の時に、一男が『翔』の漢字のことを、「あの羽(はね)って書くやつ」ってゆったら、翔くんが超!めんどくさそーに「うん、そんな感じのやつ」って言った(笑)一男、そこはとぶ、とか、かける、とか…いやハネだけど…ハネ…。
この時の情景はやたらとおぼえていて、前髪がっさー上げてオデコ全開にして(オデコ広いって当時すっごい気にしていたくせに)、黒ビニール切って「小」ってつけて、ぷっくりした顔でオデコに黒ビニールで「小」って、なんかよくわかんないけどシュールだったなー。そんで一男がはしゃいだ感じで「はね」ってゆったら、ほんとに、ほんっとにめんどくさそうに、その言葉叩き切るように「うん、そんな感じのやつ」ってゆったんだよ(笑)
99年1月4日 Jr.コン横アリ
MC初詣の話。31日Kinkiコンの後、松潤・裕貴・翔・梨本で明治神宮へ。大坂もその場にいたけど、「途中で帰っちゃった」そうな。
翔ちゃんはこの時のMCに出てなくて、たぶん松潤がゆってたんじゃなかったかなー。
ラストメンバー紹介、やら・パナ・一男・翔で「ミドル」って紹介。翼、裕貴、大坂、穴沢は単品で1人ずつの紹介。Be yourselfは「ミドル」+穴沢なんだけど。
またポジションを気にしている(笑)(当時は笑いごとではない…)。
99年1月5日 横アリ
翔くんと裕貴がこわれている。
この一行だけ(笑)どうした、なにがあった。
そして、この直後、FRIDAYの一件があり、俊ちゃんと一男と穴とオミがいなくなり、夏前には当時の恒例Jr.海外旅行メンバーが、滝・翔ちゃん・相・ニノ・松潤というメンツで、行き先をもじって「ベガス組」と呼ばれ、これはベガス組でデビューだ、いや違うこれは翔くんのJr.サヨナラ思い出旅行だ等々紆余曲折な大騒ぎがあり。
そして、1999年9月がやってきて。
2000年4月29日かなあ、横アリ初日って書いてあるメモ。
1枚目にあった、当時のわたしの走り書き。
ここにいることを迷ったこともあったけど、嵐でよかった。
休みがちでわがままが多かったんですけど、みなさんが嵐のファンでよかったと思えるような嵐になっていきたいです。
休みがちで、わがままが多くて、ここにいることを迷っていて、そういうこと、みんな知ってて。だから、嵐になると、その船の上に翔くんがいる、となった時に。「いいの!?」ってみんな思って。大学行くのも、デビューしたくせに覚悟が足りないって当時はやいのやいの言われて、でも、そんなの行くに決まってんじゃんだって翔くんだよ!?って。
トクベツじゃないけどトクベツな男の子のことを、みんな、大好きだったんだよ。
それは、ステージのこっちにいるわたしたちも、ステージの上にいたみんなも、トクベツじゃないけどトクベツだった翔くんのことを、みんな、好きだったんだとおもうんだよ。
みんなが好きで、みんながかまって、みんなにたくさん愛されて、そしてそれを、翔くん自身がわかってた。
ここにいることを、迷ったこともあったけど。
それでも、愛されてきたことを、忘れていない。忘れられないんだと思う。
それは、30歳をこえた今でも、きっと変わらずに。
あの頃の「夢」、あの頃の「好き」、あの頃の「楽しい」、そういうの全部ぜんぶ、あなたがここにいる理由のひとつだと思ってる。
もしかしたら重いかもしれない、あの頃の夢と、あの頃の「好き」を、全部その肩にかぶせても絶対に倒れないきみをあいしてる!
おたんじょうび、おめでとう!