フライパンではりたおされる

注:最終的にはTheyクリエのBe a manが好きすぎる、という話に帰結するので、お急ぎの方は飛ばしましょう…。

 

KAT-TUNのツアー初日、国際フォーラムに行った。

そこまで感傷的ではなかったけれど、そこで最初に見た時が2階席だったので、2階しか入ったことがないような記憶になっていたけれど、当日1階席に入った直後、あ、わたしあのあたり(1階上手端前の方)の席で見たわ!っていうことが唐突に思い出されて、人の記憶ってアテにならんな…とか、思った。

 

かめたんが言うには、前の国際フォーラムは12年前だった、と。そんなに昔か、とも思うし、もっと前じゃなかったか、とも思う。KAT-TUNが飛ぶ鳥を徹底的に叩き落とし、むしろ飛ばさねぇくらいの勢いで突き進んでいたのがもう10年も前ですか…とか…。

 

あの頃のKAT-TUNと今のKAT-TUNは絶対的に違うけど、絶対的におんなじで、なんというかそれは、一時代を築いた、ということの結晶のような気がした。一時代を築いた、というと、今は寂しい雰囲気が漂ってしまうけど、そうではなくて、今も現役である限りは、時代を築いたということは、プラスに作用するものなのだということがわりと個人的には新しい発見。

 

バー的なセットを出して、中丸のボイパをスタート地点にする一連のメドレーがまぁもうほんとに、KAT-TUN、としか言いようがなくて、その流れの中でSIGNALのイントロがかかった時の客席の溜息というか、あれは、羨望、じゃないかと思うんだけど、なんというか、感嘆の息の音。

昔よく不良っぽいと言われていたけど、肩に力の入った『不良』じゃないんだよね。KAT-TUNはいつでも『現代』であり、『今』の現実が求めるかっこよさを体現できる、ような気がする。姿形はあんなに二次元っぽいのに。

 

KAT-TUNでしか成り立たないこと、KAT-TUNにしかできないこと、っていうのは絶対にあって、それが、一時代を築いたということなのだろうか、とか。

 

そのひとたちにしかできないこと、っていうのは、やれって言われたってできるもんじゃないし、ある程度の仕掛けがあったとしても、それを体現する・しない、できる・できないは本人たちそのものにかかってくるわけで、だから、そのひとたちにしかできないこと、そのひとたちなりの色、というのは、本人たち自らの手でしかつかめないものなんだろうとおもう。

嵐だって、今でこそ5人で嵐!が最大のポイントだけど、最初っからそうやって売ろうと思ってたわけじゃなし、思われてたわけじゃなし、そうなっていく過程とか、意志、みたいなものがあったわけで。

 

それでさ。

もう、うまいつなぎがみつからないんで、唐突にクリエの話に突入するんですけど。

They武道のクリエを語りたいの!と思うときに、なんか、いい表現がないかとウロウロしていて、それで、現時点でたどりついてるのが、「フライパンではりたおされたみたいな衝撃」っていう。

 

クリエの幕が開く前、べつにばかにしてたわけじゃないし、逆に、できてあたりまえよ、とも思ってなかったし、じゃあどんな予想をたてていたんだという話だけど、どっちかっつーと予想するのもこわかった、みたいな状況があってさ。

幕が閉まって思ったことは、こんなにできるなんて知らなかった!っていう、さ。

それはパフォーマンスに限ったことではなくて。そんなさ、テレビ露出もろくにないし、なんなら3人で活動してる時間のが最近は短いし、そりゃ嵐コンには出てるけど、だからって構成あんなできると思わないじゃんよ!(逆ギレ)振付できるの知ってるけど、だからってそんな全体的なことまでトータルでできると思わないじゃんよ!(逆ギレ)的な。

 

クリエ全部終わってから、なにがそんなに良かったんだろうって、それは今でもずっと考えてて、どれが一番ってわけじゃないんだけど(全部よかった)(真顔)、でも、象徴的だったのは、Be a manじゃないかって、思ってて。

 

なんでそう思ったかって、これは、今年度のクリエをやる人たちをざっと見まわした時に、たぶん、They武道しかチョイスしない曲で、They武道しかやらない演出だと思ったから。

 

完全なるイメージ論なんだけどさ、やっぱ、売れてるって、テレビじゃん(なんですかいきなり)。

でもさ、テレビ出らんないのよ。しょーねんくらぶも呼ばれないわけよ。

そーすっとさ、テレビ出られないから舞台やってんだ~ふ~ん、的なさ、そーゆのは、やっぱり、あるわけじゃん。実際に嵐バックは墓場と呼ばれていたわけだしさ。

そういう人たちが、自分たちが一列目に出て、前に誰もいなくて、マイク持って、構成も振付も好きなようにやっていいですよ、ってなった時にさ。

 

そこで、Be a manを選べるっていうのは。

そこでBe a manを選んで、ミュージカル調の衣装と小道具で、でもちゃんとその構成にぴたっとはまるようにアレンジして持ってきて。

 

それをね、その曲を含む、オリジナルブルー~Be a man~運命のひと、って、1曲ずつ全部がっつりやってるんだけど、それをね、「メドレー」だって言うんだよ、亮太くんっていうひとが。それはメドレーで、そこで自分たちのグループのカラーを見せたかったんだ、って言うんだよ。

 

カラー。色。おれたち、にしかできないこと。

 

おれたちにしかできないこと、おれたちにしか選べない曲、おれたちでしかやらない構成、だから、Be a manなんだ…!!

 

…って。国際フォーラムのなかで、1人で勝手に雷に打たれていた。

 

勘違いかもしれないけど。

でも、あの時あの場で見たBe a manはなにもかもが完璧で、なんかこう、ジャニ業界でいろんなニーズがあるなかで、そのニーズにこたえてくれるジャニっ子もたくさんいるなかで、ここしかない、ここはあいてる!っていう、その3ミリくらいの隙間にジャストはまるように突っ込んできたっていうのがさ!

そういうニーズは確かにあって、それは舞台だしコンサートだしショーだしレビューだしライブだし、カテゴリーわけできないけど、でも、テレビっぽいとも舞台っぽいともコンサートっぽいとも違う、とにかくこれはThey武道が自分たちで選んできた、自分たちにしかできないもの!っていう!

そこに、すっごい感情移入して、フライパンではりたおされたみたいな気持ちになったのかなぁ…

 

…っていう、今。